はしばし調査隊、調査しました〔2047〕2008/11/22
こないだうちから、妙にマニアなはしばしシリーズをやりよりますが、あまりにもマニア過ぎるんで、本日まとめて調査してみました。名付けて「鏡川はしばし調査RUN」。朝、河口の鏡川大橋から走りはじめて、橋のひらがな読みを確かめつつ柔らかい日差しのなかをのったりまったり遡上します。ホントにこぢゃんと心地よかったですな、まこと。で、調査結果なんでありますが、なんとなんと、おおかた「ばし」やったがです。はしが濁るがは縁起がわるいきいかん、と思うちょったひまわり太郎、あまりの「ばし」の多さにちくとショックを受けてしまいました。
本日は鏡ダムの下の川口橋まで右岸やら左岸やらいったりきたりしながら走りましたが、本日確認した「はし」は、ダムの下の川口橋(かわぐちはし)とその下流の大河内橋(おおがちはし)だっけ。つまり、ダムから下流の鏡川では、全部で14の橋(水道橋、鉄道橋を除く)がありまして、その中で「はし」と読むがは大橋をのけて「ざこばはし」「やなぎはらはし」「おおがちはし」「かわぐちはし」だけやったという訳です。皆さんには全然以外ぢゃあないでしょうが、ひまわり太郎にとっては結構意外でございました。ギッシリたつくりよりますき、かわぐちはしとおおがちはしは知っちょりましたですきね。
まあ、そんなことはどうでもカマんでしょうが、今日、橋の欄干を確認しながら走ってみて、あることに気付きました。昭和54年から56年にかけて完成した橋がこぢゃんと多いがです。こないだのにっこりで、昭和56年3月に鏡川大橋と雑喉場橋が、翌4月に潮江橋が完成した、と、書きました。で、何と、鏡川橋と米田橋も昭和56年3月完成、紅葉橋は昭和55年3月で柳原橋は昭和54年3月。まあ、年度末に完成するがはお愛嬌にしましても、この時期架橋ラッシュやったことがわかります。橋の工事だらけやったがですな、当時。
今日は、大河内橋から右岸の坂道を駆け上がり、久々に針原を通ってRIOまで抜けました。針原は遙か眼下に鏡川を見下ろす集落で、木曾義仲ゆかりの武将、今井兼光さんゆかりの兼光地蔵さんが畑の真ん中に静かにたたずんでおられます。このにっこりでも何度かご紹介しました。今日も、暖かい日差しを浴びて、穏やかに鎮座されちょりました。