水城とコスモス〔2018〕2008/10/24
2008年10月24日(金)九州は晴れちょるばい
てな訳でここは福岡。今日のお昼、飛行機でやって来ました。甘木と太宰府に仕事がございまして、福岡空港でレンタカーを借りちょります。
レンタカーですと、色々と行動範囲が広がって楽しいですね。出張でレンタカーを借りて移動するがは結構楽しゅうございます。太宰府で用事を済ませて空港へ戻る途中、水城の史跡に寄ってみました。こないだうち、何かのニュースで、水城の土盛りの下に敷いちょった樹木の枝葉の跡がまたみつかった、というがをやりよりましたので、ちくと見とうなっちょったがですね。
大化の改新で勝利して調子に乗っちょった中大兄皇子とか中臣鎌足とかが、調子に乗った勢いで朝鮮半島の戦に介入、滅亡しよった百済に手を貸して、唐と新羅の連合軍に白村江にてこてんぱんにやられ、大あわてで九州へ逃げ帰り、大あわてで作った防衛のための土塁が「水城(みずき)」。太宰府界隈が九州の中心地やったでしょうきに、太宰府へ新羅軍が攻めてくるがをここで何としても防ぎたかったがでしょう。663年が白村江の戦いで、この水城や、この東の朝鮮式山城、大野城とかが作られたがが翌年。こぢゃんと慌てちょったがでしょうな。結局攻めてこんかったですけんど。
百済救援を決めた際の天皇は女帝斉明天皇。博多から49km内陸の朝倉宮へ入り、神木を伐ってお宮を造営したりしたため宮中に鬼火が出たり病死者が出たり、あげく斉明天皇も急死してしまいました。中大兄皇子が木の丸殿という所に籠もって喪に服したそうです。この朝倉、今日行っちょった朝倉市にあるがやないでしょうか。これですね、何度かにっこりでもご紹介した、高知の朝倉の朝倉神社がそうである、という説もあります。斉明天皇ゆかりの朝倉神社。で、あの朝倉神社の隣には木の丸保育園もありますね。色々と縁はつながっていきますな。
写真は、水城の東門があった場所に最近整備された公園から水城を眺めた所。コスモスと水城がこぢゃんちキレイでした。