愛宕山、津ノ崎、秦泉寺廃寺、鴻ノ森〔1998〕2008/10/04
2008年10月4日(土)曇っちょります
今日は、イオン高知ショッピングセンターから西を眺めてみました。愛宕山方面ですね。正面中央、山の上の方まで住宅が建ちゆう山が愛宕山。てっぺんには愛宕神社が鎮座されちょりまして、長い石段が美しゅうございます。今の高知市からは想像できんですけんど、1000年昔に遡れば現在の市街地は全部海で、浦戸湾の底でした。この愛宕山が、浦戸湾に突きだした岬になっちょって、山の向こう側に入り江(津)があったので、その先っぽは「津ノ崎」と呼ばれよったそうです。現在でも大津、小津という地名がありますけんど、ここはその間にあるので中津とも呼ばれよったとか。
愛宕山の右手の向こうに秦山が見えます。その間が中秦泉寺で、白鳳時代の寺院跡、秦泉寺廃寺跡があります。発掘結果では、こぢゃんと大きい寺院のようで、この界隈、古墳時代から白鳳時代にかけて、土佐でもかなり重要な場所やったにかありません。最近北部環状線という広い道路が抜けて風景が変わりましたが、中秦泉寺から西への旧道が、その昔の海岸線やったらしいです。一段高うなっちょりますもんね、今でも。
とっと向こうに、富士山のような形をした山が見えます。鴻ノ森ですな。あの山のてっぺんには、戦国時代、土佐制覇を狙うた本山氏の支城がありました。あの姿からもわかりますように、天然の要害。難攻不落でした。が、このにっこりにもびっしり出てくる長宗我部氏の猛将、福留隼人さんたちが攻め込み、守将鴻ノ森出雲が死守するも落城しました。水攻めですな。
あそこから朝倉方面にかけて、その攻防戦に関係する祠とかが今でも結構ございます。非常に激しい決戦やったことが偲ばれます。