筆山、筆鉾山、潮江山〔1963〕2008/08/30
2008年8月30日(土)小雨模様
今日は朝から静かな雨。夏休みもいよいよこの土日ですけんど、皆さんお子様はもう宿題お済みですか?ひまわり太郎Jr.はまだです。
さて、今朝はひまわり乳業本社から眺めた筆山。右端に本社の建物の一部が写っちょります。ここからは、天神大橋を渡ってしゅっとのクに登り口があります。ここ数年は、車道を走って登ることが多いですけんど、子供の頃は結構広い登山道を登り、途中の駐車場のある所から南へ、高見山、茶畑を抜けて鷲尾山へ登りよりました。それこそ、何度登ったかわからんくらいビッシリギッチリ。家から歩いて行って帰れるハイキングコースですきに、最大の娯楽やったですね。
あの筆山には山内家の墓所があります。北麓には山内家菩提寺の真如寺が。明治26年頃、河田小龍さんが描いた地図を見ますと、写真に写っちゅう部分の山が筆鉾山で、あの一帯の山塊を総称して潮江山となっちょりました。筆鉾山の北西麓には称名寺跡と書かれちょります。何度かにっこりでもご紹介した枡形の名刹、称名寺さん、馬場辰猪、孤蝶兄弟の家のまん前の称名寺さんは、廃仏毀釈まではそこにあったのでした。今、変電所みたいなががある場所、と、現在の称名寺の住職さんが教えてくれました。
筆山から鷲尾山までは、歩いて1時間。走ったら30分ちょっと。で、宇津野山から向こうに降りると浦戸湾。藩政期初期の山内の殿様は、長宗我部の残党が攻めて来たらお城から真如橋(天神橋)を渡って筆山へ逃げ込み、橋を落として攻撃を防ぐ作戦でした。で、更に潮江山に攻め込まれたら山を越え、浦戸湾から太平洋へと逃げるルートも確保しちょった訳です。