ここに工場があった時代〔1961〕2008/08/28
2008年8月28日(木)高知は曇っちょります
今朝は高知。昨日の最終便でモンて来ました。昨日一昨日のアグリフードエキスポ、こぢゃんち面白うございました。全国各地の素晴らしい産品を見れましたし、色んな業界関係者の方にもお会いできました。こんな機会はめったに無いですきに、嬉しいですね。
ここは今朝の本社。アグリフードでも実感したがですが、ひまわり乳業は、高知県という素晴らしい自然と素材を持つ地域をバックボーンとしちょります。やっぱし高知に徹底的にこだわっていくががひまわり乳業の使命やと、強く思いました。
この、高知市与力町の本社は、昭和40年に南国工場ができるまではひまわりの主力工場でした。この街のど真ん中の狭い敷地で、製造をやりよった訳です。戦後のひまわり乳業、当時は高知牛乳食品の本拠地がここでした。今は本社機能が残るのみで、製造の中心は南国工場。
写真左手前、自動車が停まっちゅう辺りが受乳場でした。ここに、生乳の入った2斗缶がずらりと並んじょったですね。その上が製造室で、資材用のこんまいエレベーターがありました。この右手には、空ビンが返ってくる所がありまして、ここで「ビンヨリ」、つまりビンの選り分けをやりよりました。向こうのボンネットが見える車の所に、煉瓦造りのボイラーが2基。そして東側に古い古い社宅がございまして、ひまわり太郎は中学校までそこに住みよりました。