南国工場横の田んぼは稲刈りがおわりました〔1930〕2008/07/28
2008年7月28日(月)晴れ!
今日も暑いです。
こないだ、7月25日の金曜日に、南国工場隣の田んぼの、頭を垂れた稲穂をご紹介しましたが、今朝見てみましたら、ご覧の通り。早くも稲刈りが終わっちょりました。早いですね。昨日ご紹介した上岡八幡宮のしゅっと横に、まだ田植えをすませたばっかしの田んぼがありますきに、さすが、一年に二度お米が獲れる香長平野の面目躍如といったところですな。
早朝の香長平野は、こないだまでの緑の絨毯が徐々に黄金色に変わりつつありまして、朝日を浴びて美しゅうございます。
減反政策が始まる前、ひまわり太郎が子供の頃は二期作全盛で、小学校の教科書にも載っちょりました。3月頃に田植えして、7月に稲刈り、田植えを行い、11月にもう一度稲刈り。なかなか忙しかったですな。あの当時、ニッポン列島は高度成長の時代で、農作物もどんどこ作れ、という感じでした。社会の教科書に載っちょったがで印象的ながは高知の二期作と八郎潟の干拓。琵琶湖に次いで大きい湖、八郎潟を干拓して広大な農地をつくり、大規模農場で効率的にお米をつくることで、豊かなニッポンを目指そう、という試みやったと思います。今は昔。
あの当時の社会の教科書に書いちょった輝かしいニッポンの未来像というがは、ことごとく変わってきちょりますな。大規模な計画というのは、完成までに時間がかかる訳ですけんど、気を付けちょかんと世の中が変わってしまい、計画自体の目的が無意味になってしもうたりすることがあります。けんど、この国の行政を預かる皆さんは、ちょっとやそっとぢゃあ計画変更をしませんきに、この財政難の世の中にいらんモンをつくってしもうたりすることもあります。その計画をたてた責任者はとうの昔にその立場には居らんなっちょりますきに、妙なモンができた後でも、誰っちゃあ遂行した責任者が居らんなるという結末ですね。新堀川はどうなるがでしょうか。