上岡八幡宮で妄想が暴走〔1918〕2008/07/16
2008年7月16日(水)今日もあづい~!
日本全国猛暑列島ですな。気温もぐんぐんと上がりよりまして、嬉しいかぎりの飲料メーカーでございます。
さて、お客様の声・広場に、いつもご紹介する上岡八幡宮の四角い石の方角について、参道の向きと微妙にずれちゅうのは理由が有るかもしれん、てなご指摘を頂戴しました。そこで、今朝は南国工場やったですきに、上岡八幡宮さんまで足を延ばしてみました。まこと。微妙に方向が違いますな。ちなみに、この参道は、地図で確かめてみたところ、南東から北西に向こうて続いちょります。この写真は、本殿、拝殿から石段を下りてきた所から撮影したもので、南西の参道入り口の鳥居方面を向いちょります。
参道脇は、こないだまで草ぼうぼうやったですが、キチンと刈り取られて心地良うなっちょりました、今朝は。
さて、ひまわり太郎が気になるがは、なぜ、参道のど真ん中にこの四角い石があるのか。参拝するに際して、この脇をまわりこんで通らんといけません。この台座には弘化四年と刻まれちょります。参道入り口の鳥居とか狛犬とか灯籠には、嘉永とか安政とかに混じって文化九年(1812年)というのもありますきに、参道の配置が途中で変わったということも、妙に考えにくうございます。
ここからこぢゃんと急な石段を上がると、拝殿。拝殿に向かって右側にまわりこんでいきますと、本殿の方へと登ようになっちょりますが、確かそこにもこの同じような四角い台座がございまして、同じ弘化年間が刻まれちょったがやなかったかと思います。今朝はそこまでよう取材してきませんでした。その台座も、何でこんな場所に、てな感じの、建物の脇に鎮座しちょったと記憶しちょります。
いや、ひょっとしたら一度、参道や拝殿本殿の配置が変わった八幡様ながかも知れんですな。石船伝説の残る上岡八幡宮について、今朝も妄想が暴走始めました。