上岡八幡宮の四角い石〔1911〕2008/07/09
2008年7月9日(水)快晴!暑い!
今日も暑いですな。夏真っ盛りで嬉しいかぎり。
こないだの日曜日、安芸川沿いに畑山温泉まで走ったお話を書きました。で、こぢゃんとビックリしたことに、このにっこりひまわりの読者の方が、そのヘロヘロになって走るひまわり太郎の姿を目撃されちょりまして、「お客様の声・広場」にそのことを書いて下さったのでありました。いやいや、驚きました。けんど嬉しゅうございました。これからも、ひまわり太郎らしき姿をお見かけになりましたら、声をかけてくださいね。
さて、今朝は南国工場で、ここは近所の上岡八幡宮。
夏草が密生して、降り注ぐ朝日が暑そうです。この中央にしつらえられちゅう参道の一番手前に、四角いオブジェがございます。その昔、氏子さんによって寄進されたもので弘化四年と刻まれちょりました。この台の上に、狛犬かなにか、乗っかっちょったがでしょうかね。それにしちゃあ、参道のど真ん中ですが。
こないだの、こんな奥にヒトが住みゆうがやろうか、と思うような山中の畑山地区にも、水口神社という立派な立派なお宮さんが鎮座されちょりまして、文化年間の銘の入った手水がありました。神社は、日本人の心の原点として、日本国中隅々までいきわたっちゅうがですね、古くから。
弘化年間と言えば1844年から1848年。黒船がやって来た1853年からを幕末とするなら、幕末直前の、何となく時代が変化しつつある時代。今、高知市中央卸売市場がある弘化台は、今みたいに埋め立てられる前は小さな島で、弘化年間に土佐藩の砲台がつくられた島。黒船がやってくる前から、日本列島、砲台が必要とされるような、何となく不穏な空気が流れよったがでしょうか。そんな時代に、このオブジェは寄進されました。そして、1854年、安政の南海地震が発生、土佐湾を襲った津波は、物部川を遡ってこの上岡八幡宮の前までやってきたのでありました。