鏡川の土手には竹藪があったそうです〔1909〕2008/07/07
2008年7月7日(月)晴れ!今日も暑い!
昨日、こぢゃんと暑いなか、安芸の栃の木から畑山温泉まで走ったというお話をしました。なかなか素晴らしい体験で、今でもまだ身体にこぢゃんと余韻が残っちょります。バスの運転手のおんちゃんには、暑うてたまらんなったら安芸川にしゅっと飛び込んだらエイわよ、と、言われちょったがですが、ホントにギッチリ飛び込みとうなりました。高知の川は、全部、ものすごいばあキレイです。新荘川がキレイとか、いや、安田川がエイとか、色んな意見がありますけんど、安芸川もなかなかのモンでした。
途中、道路を横断するシマヘビと、道路の脇でマンマルコウなっちょったアオダイショウの子供に遭遇。自然いっぱいです。
ここは今朝の鏡川。そう言えば今日は七夕さん。もう、梅雨の明けた七夕さんですきに、織り姫も彦星も嬉しいことでしょうな。一昨日のにっこりで、土佐の歴史の師匠、谷さんから、鏡川について色々書いた文章を頂戴した、というお話を書きました。それによりますれば、この右手、つまり、天神橋と潮江橋の間の南岸は、戦前まで竹藪やったそうです。堤防の上に竹が茂っちょって、その竹林が、堤防の決壊から潮江地区の皆さんを守っちょったがらしいです。天神橋南詰から西へは、潮江天満宮の参道北側の土手に、楠やら榎やら杉やら、大きな木がずらりと並んで、天神様の雰囲気を盛り上げてくれよりますが、この、土手の上の樹々も、鏡川の増水から潮江地区を守ってくれゆう森ながですね。ひまわり太郎が中学生の頃、台風で鏡川がこぢゃんと増水し、その参道北側の堤防が決壊寸前になりました。その対岸のしゅっとのクに、ひまわり太郎は住んじょりましたので、テレビニュースの生中継で伝えられる、そこに土嚢を積む作業の状況を、今でも鮮明に覚えちょります。その堤防が決壊したら、潮江地区は大変なことになっちょったと思います。が、消防団の皆さんの懸命の努力と、土手に根を張り巡らした古木のお陰で、無事、潮江地区は事なきを得たのでありました。