はりまや橋考はつづきます〔1896〕2008/06/24
2008年6月24日(火)曇っちょります
今日もまたまたはりまや橋考。
ここは、はりまや橋の交差点を東から眺めたところ。左手には、西武百貨店のあった場所の更地を囲む工事用の塀が見えます。前方右手の茶色い建物は、今月オープンしたばっかしのホテル、西鉄イン様。すっきり美しいですね。2004年11月6日のにっこりで、ここよりもうちびっと西から眺めた交差点の写真をご紹介しちょりますが、まあ、随分と変わったもんです。
さて、こないだうちから純信お馬の物語について、ちくとお話しよりますが、同時代には幕末の志士たちが活躍しておりました。五台山から二人が駆け落ちしたがが1855年5月。
どんな時代かと申しますと、その前々年、1853年にはペリーが黒船に乗って浦賀にやって来ちょります。で、1854年11月には安政大地震。その翌年に事件発生、ということです。その時、高学歴の中年の僧侶といわれる純信さんは36歳。お馬さんは16歳。う~ん、たしかに犯罪。お馬のお母さんは純信さんより年下やったそうですね。同じ頃、坂本龍馬さんは丁度20歳で、お馬さんより4つ上。江戸での剣術修行から一旦土佐へモンちょった時期でしょう。この艶聞について、龍馬さんはどう思うたでしょうね。20歳の龍馬くんです。で、武市半平太さんは26歳。ジョン万次郎さんと山内容堂さんはその2つ上の28歳。皆さん若いですな。純信さんより3つ上が、39歳の吉田東洋さんで、河田小龍さんは31歳。
お馬と年が近いのは、中岡慎太郎くんが一つ上の17歳。この年7月、田野学館へ武市半平太さんが剣術の出張授業に来て剣術を習い、高知へ出て武市道場に入門、とありますきに、5月の事件後9月に判決が出て、城下三番所で晒し者にされた純信お馬をを見ちゅうかも知れんですね。
お馬と同い年ながは、吉田茂さんのお父さんの竹内綱くん。16歳。片岡謙吉くんや田中光顕くんは13歳で、中江兆民くんは8歳、自由民権運動の闘士、馬場辰猪ちゃんは5歳でした。全部、満(マン)での年齢です。
こうやって年齢で並べて眺めてみると、歴史もまた違う趣になって面白うございます。