鏡川南岸のディズニーランド〔1884〕2008/06/12
2008年6月12日(木)曇っちょりますね
今日は晴れるそうですけんど、朝の時間はまだ曇っちょります。
ここはいつもの鏡川沿い。天神大橋南詰から堤防の上の道を西進し、鏡川に流れ込む小川の橋を渡った界隈。右手に見えゆうがが潮江天満宮の森で、中央に天神大橋の赤い欄干が、その向こうにトップワン四国が見えよります。
この、鳩が群れゆう空き地に、ひまわり太郎が小学生の頃、トランポリン場があったと記憶しちょります。露天のトランポリン場。たまに、追手前小学校の友人たちと遊びに来ました。当時、トランポリンなんぞというものはこぢゃんと珍しく、面白かったですね。
が、当時も今と同じように地面はコンクリートで、今考えたら結構危険な感じやったです。事故は起こらんかったがでしょうか。
ここから西へ堤防の道を歩くと、南国橋がありまして、そのまた西にこどもの国がありました。南国橋の欄干はこぢゃんと低うて、慥か50cmくらいしかなかったと思います。我々子供は、その欄干の上を牛若丸のように歩いてそばえたもんでした。
こどもの国は、当時の高知の子供たちにとって、夢のようなあこがれの遊園地。何というたちジェットコースターがありましたし、鏡川の対岸まで行って帰ってくるロープウェイもありました。そう言えばちんまいプラネタリウムもあったですよね。当時の高知の子供のあこがれは、大丸の屋上、土電会館屋上、そしてこどもの国でした。そして、丁度この対岸あたりにタンマにやって来たサーカス。
鏡川、天神橋から南国橋、沈下橋にかけては、高知の子供達にとってはディズニーランドのようなエリアやったのであります。