またまた針原、雨の針原もきれいです〔1851〕2008/05/10
2008年5月10日(土)雨が降りよります
最近のひまわり太郎のマイブームと言えば、針原。
先月、4月6日と4月20日が、針原からのにっこりですね。ここは、鏡川を宗安寺から遡り、大河内橋のところの行川分岐から鏡川右岸をどんどん登っていくと、たどり着きます。眼下に鏡川を見下ろす、九十九折りの斜面に家々がへばりついた集落。前回、前々回は、ここの畑に鎮座されちゅう、兼光地蔵さんをご紹介しました。木曾義仲さんの家臣で、強弓を引いたとの伝説の残る剛の者、今井兼光さんゆかりの地蔵。ですきに、この集落、こぢゃんと古い由緒ある集落やということが判ります。
けんど、今、高知から走ってみますと、途中でほとんど車にも擦れ違わん、静かな静かな道路の先にある静かな集落。
ここへ登ってくる車道の登り坂が、適度な負荷で心地エイがと、ここからの眺めが素晴らしいのと、ここから峠を越えて旧鏡村役場の方へ下って行くマイナスイオンたっぷりの山間の小さな道路が好きで、マイブームになってしまいました。
兼光地蔵さんは、今日も、雨の降る畑の真ん中で厳かに静かに可愛らしゅうに鎮座されちょりました。そこからちくと北へ行った、見晴らしの良い所から撮影したががこれ。右下遙かに鏡川の清流が見え、正面に鏡村の集落が見えよります。目の前しゅっとに、ソフトボール場の施設が見えゆうがが判りますでしょうか。その界隈にお城があったそうで、昔から、ここを支配する豪族は、そのお城を本拠にしよったみたいです。源平合戦の頃、そこに居を構えた豪族に苦しめられ、姫を奪われた針原の人たちは、絶望的な決戦を挑み、敗北を覚悟しましたが、偶然ここを通りかかった旅の僧、実は強弓の使い手今井兼光さんに助けを頼み、そして、宴会中の敵の豪族にこちらから弓を射かけてやっつけてしもうた、という伝説をこないだ書きました。
ここよりもうちょっと峠寄りへ走りますと、対岸の城跡、ソフトボール場が、ホント、目の前真下に見える所がありました。その弓の伝説、かなり有り得る話と感じましたです。
ともあれ、このお気に入りランニングコースを楽しんだひまわり太郎は、300円の温泉RIOで汗を流し、バスに乗って帰ってきました。贅沢ですな。