源氏の落人、今井兼光さんとお地蔵さんと針原の今井さん〔1817〕2008/04/06
2008年4月6日(日)今日も晴れました
今日は、ちくとお天気が崩れるかも知れん、という予報やったがですが、晴れました。今日もお花見絶好の日和で、良かったですね。
さて、今日の午後、時間をつくっていつもの鏡川遡行コースを走りに行っちょりました。が、途中の大河内橋、行川口(なめかわぐち)というバス停のある所から、普段走る鏡川左岸の対岸、右岸を走ってみることにしました。途中からこぢゃんときつい上り坂になって、山の上の針原という集落にたどりつきました。数軒の家があるだけの、九十九折りの道の上の集落。ここにはある伝説が残されちょります。
このお地蔵さんは兼光地蔵さんと呼ばれるお地蔵さん。
源平合戦の時代、この山では、この集落と、鏡川対岸の向こうの小浜という地区の争いがありました。この、右端に写っちゅう集落を中心として山の上に砦を構えちょったがが小浜。当時、小浜は、野武士とか夜盗とかを集めて略奪を繰り返しよった勢力が居座っちょったそうです。で、ここ針原の長者の娘、こぢゃんとキレイやったと言われる娘をさろうていったとか。ここ針原のヒト達は怒りましたが、相手はその道のプロですきに、簡単には取り戻せません。意を決して、奪い返すことに決めたがですけんど、勝ち目はほとんど無い状態。そんな絶望的な決戦の日の朝、この針原に旅の僧侶が通りかかりました。村人達は藁にもすがる想いで、このお坊さんに、何とか助けて下さい、と、事情を話して語りかけます。
そのお坊さんは、僧衣を脱いで、「弓を持て!」と静かに言い、小浜の悪党供をやっつけてしまいました。この僧侶、実は木曾義仲の家臣の弓の名手、今井兼光さんで、頼朝にやられてから僧侶姿に身をやつして、ここ土佐の山の上まで逃げのびて来たのでありました。
こぢゃんと地元の皆さんに有り難がられ、その絶世の美女の長者の娘さんと結婚して、ここに住み着いたそうです。その今井兼光さんの菩提を弔うために立てられたのが、このお地蔵さん、という言い伝え。この集落は、今、殆どが今井さんという姓。兼光さんの子孫ということですね。
ところで、しゅっとこのお地蔵さんをよう見つけんかったので、畑をやりゆうおじいちゃんに、「すみませんが木曾義仲の家臣ゆかりのお地蔵さんを探しゆうがですけんど」と話しかけましたら、その畑のしゅっと近くにあると教えてくれました。高知大学を退官された学者さんで、ここで生まれ育った素敵なおじいちゃんでした、もちろん今井さん。もう80歳を超えちゅうそうですが、こぢゃんと元気そうでした。詳しゅうに色々と教えて下さり、その上に、菜っ葉やらキンカンやらおネギやらをどっしこくれました。ホントに、幸せに気分になった山のラン。ひまわり太郎のやりゆう地域巡りとかランニングやらは、実はものすごい贅沢なことかも知れんですね。