高見山のライオン岩と菅原高視さん〔1791〕2008/03/11
2008年3月11日(火)今日も初夏のような陽気
もう、春を通り越して初夏でしょうか。そんなポカポカの高知市内です。
さて、昨年2007年11月12日のにっこりで、高見山のライオン岩がどうしてライオン岩ながか解った!てなお話をしました。あの時の写真では、あんまりことコンモウに写っちゅうもんですきに、そのライオンの姿がよくおわかり頂けんかったと思います。そこで、今朝は、もうちっとそばから撮影してみました。写真中央に、そのライオンの姿が見えませんか?
実は、アングルとしては、昨年11月のアングルから見た方がライオンっぽいがですが、ちくと遠いので、ひまわり太郎のデジカメではキレイに写せんのであります。
ここは、前回の場所から少し南へ下った、岩盤浴屋さんの前くらいの場所。
前回の場所と今回の場所の間を、少し山へ登った場所に、これまた昨年の12月10日にご紹介した菅原高視さんの邸跡がございます。あのライオン岩は、当時からあったがでしょうか。いや、あったに違いありません。あんなに大きい岩があちこち移動することもないでしょうきね。
あの岩は、筆山から鷲尾山方面へと歩いていく山道の道沿いにあります。あの岩から高見山の南、そして現在の土佐塾中高のある北中山方面へと、昔も道があったことでしょう。この潮江の界隈は、菅原道真、高視親子の時代は海やったでしょうきに、山の上の道は結構人が歩きよった道かも知れません。その道沿いの、よじ登るとこぢゃんと景色の良い大きな岩、ライオン岩。ひまわり太郎も、子供の頃、鷲尾山へ登る際には、必ずこの岩で休憩しよりました。その頃の写真も残っちょります。こないだの土曜ににたつくった際にも、たくさんの保育園児が父兄と一緒に岩で記念撮影をしよりました。
菅原高視さん、土佐に左遷されちょった時分、この岩へ上ったことあるでしょうか。邸の裏を登って、そんなに遠うない所にある岩ですき、たぶん登ったことでしょう。その頃、ライオンは日本に居りませんきに、何と呼ばれよったでしょうか、この岩。気になるところです。