深谷吉野線と筆山鷲尾山線の交差点、今むかし〔1774〕2008/02/23
2008年2月23日(土)今日もぬくいですな
もう、春に向かって一直線の高知市内です。
今日は、朝方、少し時間をこさえまして、またまたJr.2号と一緒に南嶺をたつくってきました。深谷まで走りましてそこから谷筋を登ります。で、吉野へと向かう吉野越えの峠がここ。筆山から鷲尾山へ登るルートとの交差点になっちょります。この交差点には、標識が立っちょります。現在は、この左手の写真のように木製のものが立っちょりまして、南北に筆山、鷲尾山を示し、東西に深谷、吉野を指し示しちょります。そしてその標識の隣に焦げ茶色にさび付いた標識らしきものが。
これが、その昔、標識の役割を果たしよったオブジェですね。
右の写真、これは、ひまわり太郎が小学生の頃のアルバムからスキャンしたもの。深谷吉野線と筆山鷲尾山線の交差点で、同じように撮影しちょります。標識に手を乗せちゅうのは、まだ若き、ひまわり太郎の父親。実はその隣には、丁度、現在のJr.2号くらいの年齢のひまわり太郎が写っちゅうがです。今から37年くらい前でしょうか。その当時、標識ができたばかりの新品で、ご覧のように真っ白うに輝きよりました。この写真では判りづらいですけんど、今と比べたら、木々は随分と小さく、この地点にも日が差し込んじょりますね。今は鬱蒼とした森の中で、杉の木立の中になっちょります。
このお正月に、ホントに久し振りに小学生の頃のアルバムを実家で見よりまして、この鷲尾山界隈の写真が、それはそれはどっしこあるがを再認識しました。びっしり登りよったがですね。父の写真を見よったら、足に履いちゅうのは黒い革靴。あの、チャップリンみたいな黒い大きい靴で、どこへでも行くきよったですね、そう言えば。
鷲尾山の頂上、このしゅっと南へ登ったところにあった茶畑、そして高見山のライオン岩で、いっぱい写しちょします。小学校の同級生もかなり写っちょります。うちの父親に連れられて、彼ら彼女らも、ぎっちり一緒に登りに行きよりました。
また、機会があったら現在の景色との比較で紹介してみろうと思いよりますき、期待しちょって下さいね。