大鋸屋橋から堀川を望む〔171〕2003/10/04
2003年10月4日(土)晴れ
今日はひまわり太郎Jr.2号の運動会。晴れて良かったです。昨日から子供はマイマイしよりました。ひまわり太郎も、運動会の前の日からマイマイしよったことを思い出しました。
写真は、堀川に架かる「大鋸屋橋(おがやばし)」から東を望んだもの。ずうっと向こうに五台山のテレビ塔が見えよります。
この堀川、現在は、浦戸湾からかるぽーと前まで、ご覧のような感じで流れよります。有料の浮き桟橋は人気で、ぎっしりと埋まっちょります。
この堀川、昭和30年代くらいまではたくさんの舟が行き来する、物流の幹線でした。特に藩政期から昭和初期にかけては、高知城下の物流センター、表玄関として賑わいました。この写真に映っちゅうまんなかあたりには明治期「水上交番所」なるものがありまして、往来の安全を図りよったそうです。
その向こうには、藩政期、お城下の東の入り口になる「松ケ鼻番所」が設けられしょりました。その下は明治期に下(しも)の新地、または稲荷新地と呼ばれて遊郭が立ち並ぶ歓楽街になりました。
今、ひまわり太郎の手元に明治後期のこのアングルの写真があります。左岸は松並木で、土手が桟橋になっちょりまして、数えきれないほどの舟がひしめきあっております。土手にも多くのヒト達がひしめいて、活気のある様相を呈しております。