菅原高視さん邸址、発見!〔1699〕2007/12/10
2007年12月10日(月)雲一つ無い青空!
見えにくい写真で申し訳ございません。ここは早朝、夜明け前の高見。
こないだ、12月5日のにっこりで、出勤途中にある高見の町の、菅原高視さん邸址をよう探さんかった、というお話をしました。するとですね、早速「それはここ」と言うてご教示下さる方が現れました。いやいや、有り難いですね、まこと。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。
でですね、高見の山裾からちくと山へ向うて上がったところにある、というのは間違いなかったがですが、こないだの場所よりもうちょっとだけ北でした。
家と家の間の小さな路地を上がっていくと、ありましたありました。雰囲気満点の邸址です。割合に整備されちょりまして、古い碑が建てられ、説明看板も立っちょりました。説明看板は天満宮さんが建てたもの。「昌泰四年一月二十五日 菅原道真公が太宰府に左遷されると嫡子右少辨高視朝臣もまた土佐権守として京都を逐はれ 土佐国潮江に居住した。此処にその邸址があり、古来小判畑と称して口碑に伝へられている。尚現在の高見町の町名は、この遺跡により名づけられたと云ふ。」と書かれちょります。
その邸址を撮影したががこの写真ですが、右下隅に、石造りの座像が鎮座されちゅうががお判り頂けますでしょうか。何ちゃあ書いちゃあしませんけんど、高視さんの座像ながでしょうね。古いですが、何やら高貴な雰囲気が漂いよりますな。
で、この目線の先には潮江から、高知市東部方面の景色が広がっちょります。ちくと高台になっちょりまして、遥か彼方まで見晴らすことができるがですね。こんなに景色が良いとは、予想外でした。そして、ずうっと向こうに、大津の山がはっきりと見えました。菅原道真公の忠臣、松本白太夫さんが、太宰府で亡くなった道真公の遺品を、嫡子高視さんに届けようとはるばるやって来て、この邸にあとちょっとの、大津の山まで来たところで病没されたというお話は何度かしましたですよね。その大津は、ここからハッキリと見ることができる、そんな距離やったがです。