横浜考〔1672〕2007/11/13
2007年11月13日(火)快晴!
昨日は結構冷やかったですね。秋深し、です。
ここは横浜。高知の横浜。西灘というバス停の所の堤防を乗り越えた所より、南向いて撮影してみました。で、突然、なんで、ここを「横浜」というがか考察してみたのであります。
正面に見える建物は、現在は病院ですが、その前はホテル、そしてひまわり太郎が子供の頃はマリンセンターとかいう名前のプールとかのついた娯楽施設やったと記憶しちょります。怪獣王子ショーを見に行った、というお話を、2003年10月19日のにっこりにも書いちゅうですね。
あの建物は、浦戸湾に突き出すかたちの半島みたいな所に建っちょります。で、その半島の北は、岸壁が東西に。つまり、南北に延びる浦戸湾の沿岸から言えば、この地区は東西が沿岸になっちゅうので、「横浜」と呼んだがやないか、という妄想が、突然頭の中に沸き上がってきたがです。全然違うかも知れんですけんど、そうかも知れません。「横浜」で有名なのは神奈川県の「横浜」。ペリーが浦賀に黒船でやって来た後、横浜村に港を建設していったがが元になって横浜市になりました。旧横浜村は、今の関内界隈。あの辺の地形を地図で見てみると、江戸湾(東京湾)の岸が南北にはしる中に半島が突き出ちょって、その半島の東西の岸にあったがが横浜。いや、この考えも妄想ながですけんど、ひょっとしたら南北の海岸線の途中にある東西の浜で「横浜」やったがかの知れません。全然違うがかも知れません。
そう思うて地図を眺めてみると、大きさは全然違うがですけんど、神奈川の横浜界隈の地形と高知の横浜界隈の地形、妙に似いちょります。ネットの地図で、ぜひご覧になってみて下さい。
こんな妄想を始めたらなかなか止まらんなりますな。美しい朝の横浜でした。