宇津野越、城下と長浜の往還〔1655〕2007/10/27
2007年10月27日(土)朝は曇っちょりましたけんど、晴れました
昨夜は結構蒸せたですね。今日も暖かく晴れた高知市内です。
昨日も横浜、「東京の横浜」ぢゃのうて「高知の横浜」に泊まっちょっりまして、今朝は本社まで歩いてきました。それも、「宇津野越」という、横浜瀬戸長浜地区と潮江、孕地区の間に聳える宇津野山の峠越えの山道を通って、出勤して参りました。この山道、近世の、高知城下と長浜を結ぶ唯一の往還道やったそうですね。昭和8年の25,000分の1の地図には「宇津野越」として描かれちょります。戦後の地図を見ると、宇津野トンネルができて、この道は25,000分の1の地図からは消えちょりました。
が、今でもちゃんとあります。宇津野山から鷲尾山方面へのハイキングコースにもなっちゅうので、山道はまあまあ歩きやすうなっちょりますね。初めて歩いてみましたですけんど、なかなかエイ道です。特に、峠から西へ尾根の急坂を登った所はこぢゃんと見晴らしが良く、南は浦戸湾から太平洋、北には高知城下から四国山脈まで見晴らすことができます。写真は、南を眺めた景色。このアングルからの浦戸湾は初めてですね。横浜から会社まで、スタスタ歩いて約1時間15分。峠を越えるのに要した時間は35分くらいですきに、海沿いの道を行くよりは随分と速いですな、こりゃ。ただし坂は結構エライですよ。
こないだ、24日のにっこりで、長浜戸の本の合戦の話を書きました。長宗我部軍が本山軍を破った、元親さん初陣の戦。その戦の直後、元親さんのお父さん国親さん(覚世入道)が亡くなってしまうがですが、元親さんは迷わずにこの峠を越えて本山勢を追い、潮江城(筆山)など、本山側の支城をどんどんと攻め落として朝倉城へと追い詰めていったのでありました。「長浜より宇津野坂を越え、潮江へ焼立出づる」と、「元親記」にあります。その宇津野坂が、今朝、ひまわり太郎が出勤してきた山道やと思います。感慨深いですな。
とにかく景色の良い峠で、山中の風情も素晴らしく、18世紀の初頭、宝永年間に書かれた「土佐州郡志」には、「山上長浜通径也、登臨極目、則海分内外、島渚無涯、山合遠近田野平鋪真天下之壮観也、山中処々多勝、皆有名」とあるそうです。
またひとつ、ひまわり太郎お気に入りたつくりコースが増えてしまいました。