仙台、青葉城、伊達政宗さん、柴田外記さん〔1632〕2007/10/04
2007年10月4日(木)仙台はよう晴れちょります
今朝は仙台。東北地方の仙台に来ちょります。昨日、あのボンバルは避けて汽車で神戸まで上り、お仕事を済ませて夜の飛行機でやって来ました。前回来た時はツツジの季節やったことを、ここ青葉城本丸へ駆け上がってみて思い出しました。最高気温は23℃くらいで、思うたほど涼しゅうはなかったでが、もちろん高知よりは涼しいですな。
本丸跡の伊達政宗公騎馬像が、朝日を浴びて神々しゅうに輝きよりました。
今朝、お客様の所へレンタカーで行く際に、ちくと遠回りして仙台市から南に30kmちょっとの柴田町という所へ行ってみました。
この柴田町の中心部に船岡城址公園というのがあり、それを見たかったきですね。ここは、何度かにっこりでもご紹介した伊達騒動の主人公、原田甲斐さんの本拠地やったところ。そうでもありますが、この城址公園に、伊達騒動のクライマックス、酒井雅楽頭の前での吟味の際に原田甲斐さんに殺害された伊達家の家臣柴田外記朝意さんを顕彰した小さな塔があるらしいのであります。
今年6月25日と29日のにっこりに詳しゅう書いちょりますが、伊達家の重臣柴田外記さんは、実は長宗我部元親さんの孫。元親さんの娘が、土佐西部の上ノ加江城主佐竹氏に嫁ぎ、戦国末期の紆余曲折を経て、大阪の陣を迎えました。佐竹氏の子を産んじょった元親さんの娘は、この大阪の陣の敗北による長宗我部家の滅亡に際して逃げ惑いますが、伊達政宗軍に捕らえられてしまいます。その時の子が、伊達家重臣柴田家の養子となり、伊達家を支えることになったがです。で、3代目伊達綱宗さんの時代に伊達騒動となったのでありました。波瀾万丈ですな。
でですね、その塔を探しよったがですが、結局よう見つけんづくとに時間切れとなり、仙台方面に帰ってきました。残念。こりゃあ、もう一度来てみんといかんなったですね。ここ船岡には、柴田外記さんの墓所や、祀った神社もあるそうです。
高知の五台山には、伊達騒動の片方の主役伊達兵部さんの墓所があります。土佐にはゆかりのなかった伊達兵部さんが土佐に眠り、長宗我部元親さんのお孫さんが仙台近くに眠る、という因縁はなかなかのもんです。
次回は外記さんの塔を見つけてご紹介しましょう。