高知の天神大橋から朝日を眺める〔1609〕2007/09/11
2007年9月11日(火)快晴!
昨夜、かなりガイに夕立が降りました。久し振りです。そして迎えた今日の朝は、もう、昨日の朝までとは全然違う涼しさになっちょってビックリしました。こぢゃんと爽やかな風が吹き抜けていく高知市内です。日中は暑うなりそうですが、昨日のひと雨で確実に次の季節への一歩を踏み出した高知市内ですね。
昨日のにっこりで、桟橋地区のお話をしました。昔は「港6社」と言われよった話。この桟橋地区を当時たつくることが無かったので、現在残っちゅう「港4社」以外の2社の記憶がありません。で、調べてみました。神戸製鋼所高知工場と、東京製鐵高知工場があったがですね。
いずれも、高知地場の工場を合併してつくられた工場。昭和60年頃まで創業しよりました。で、昨日の土佐電鉄桟橋車庫、あれは、どっちかの工場の跡地ですよね。確かそうです。たぶんそうです。ご存じの方、いらっしゃいましたらご教示下さい。
さて、ここは今朝の天神大橋。鏡川に架かる赤い欄干の美しい天神大橋から、美しい日の出を撮影してみました。こないだ、9月7日のにっこりで、大阪の天神橋から撮影した美しい日の出をご紹介しましたので、今日は高知の天神橋。大阪の天神橋は、その北にある大阪天満宮へ参詣するのに使われた橋。高知の天神橋は、この南にある潮江天満宮に参詣するために架けられた橋。ではなくて、元々は、潮江天満宮の隣に造営された山内家の菩提寺「真如寺」へ、藩主がお参りするのに架けられたらしいです。で、「真如寺橋」と呼ばれよった訳ですが、その後色んな名前で呼ばれちょりますな。1801年の地図では「潮江大橋」、1867年の地図では「天神橋」、明治26年の河田小龍さん作成市街地図には「天満橋」とあります。
藩政期、市街地を流れる鏡川に架けられた唯一の橋として存在しちょったがが「真如寺橋」「潮江大橋」「天神橋」「天満橋」でございました。