グランド通り、乗出、お乗初め、朝比奈氏〔1599〕2007/09/01
2007年9月1日(土)おおむね晴れちょります
今日から9月。けんど暑いですね。
ここは、昨日の場所から西へ、電停で言えば3つめの「グランド通り」。ここから南へ行って鏡川を渡ったところに高知市営グランドがあったので「グランド通り」。現在は「龍馬スタジアム」という名称の陸上競技場兼競輪場と、市営野球場。市営プールなどなどがあります。ここは、昔は「乗出(のりだし)」という電停でした。枡形の東にあるこの場所、乗出という地名でした。今でも角に「乗出」というたこ焼き屋さんがあります。
何度もこのにっこりでご紹介しちょりますが、藩政期、正月11日に山内の殿様臨席のもと、家老から郷士にいたる土佐藩の武士達が自慢の馬に乗って一騎駆けする恒例行事が、その地名の由来。ここがスタート地点で、堀詰まで、あの向こうの鉄塔の所にあった筆頭家老深尾家の櫓に上って拝謁するお殿様の前を、普段の鍛錬の成果を見せようと駆け抜けていくのでありました。
その始まりはと申しますれば、天正14年(1586年)にまでさかのぼるそうです。当時は山内一豊さんは近江の国、長浜城主。長浜に入って最初の正月を迎えたこの年、家臣の祖父江邸門前を「乗初」をしたがが最初と言われちゅうそうです。祖父江氏と言えば、昨年の大河ドラマ「巧妙が辻」で前田吟さんがやりよったのが祖父江さんです。一豊さん、土佐へ入国してからもこの行事を続け、藩政期中、いろんな変遷を経て明治3年まで続けられたそうです。
エピソードには事欠かんですな。1734年正月11日の朝、家臣の朝比奈忠蔵さんは、藩主山内豊敷さんに鎧を着用さそうとしよりました。これは一豊公からの「羽織着用」という慣例に背くもので、びっくりした重臣山内半左衛門さんがそれを咎め、口論となったそうです。で、重臣に楯突いたということで朝比奈忠蔵さんは「追込(おしこめ)」にされたとか。
手元の、1669年の城下図によりますれば、朝比奈さん邸は昨日ご紹介した本町郵便局の東側の広い所にあります。それが、1801年の城下図では家老孕石さんの邸になっちょります。この一件が影響したがでしょうか。いや、全然関係ないがかも知れませんが、空想は広がっていきますな。