唐人町の蝉〔1573〕2007/08/06
2007年8月6日(月)お暑うございます
今日は夏空。朝から蝉の声が喧しい高知市内です。
ここは唐人町。鏡川の、潮江橋と天神大橋の間の北岸で、土手の上の小径から撮影しました。土手に植わっちゅう桜の木にとまって、朝っぱらからワシャワシャワシャワシャやってくれゆうクマゼミ。この土手の上の小径は、ひまわり太郎が中学校へ歩いて通いよった小径。この小径の南側、鏡川に面しちゅう方が唐人町。この、グランドホテルさんと天神大橋の間の土手には、寛政4年(1792年)の町屋図によりますと25軒のお店が並んじょります。で、そのうち豆腐屋さんが何と20軒。当時の朝の時間は、この土手には豆腐の香りが溢れちょったことでしょう。
今、この土手にはホテルやマンションが並び、土手上の小径も蝉の声以外は静かな趣きになっちょります。この土手の北の通りは、南が土手で北側だけが屋敷町の「片町」。たぶん当時も日当たりはメッソなことなかったはずですが、馬廻とかの上級武士もどっしこ住みよった町。この、グランドホテルさんと天神大橋の間の片町には、1867年の郭中図によりますれば10軒の武家屋敷があります。その西端の家が百五十石取り馬廻格の後藤良輔さんちになっちょります。この後藤良輔さん、またの名を後藤象二郎と言いまして、幕末から明治にかけて活躍した政治家ですね。坂本龍馬さんの意を受けて、山内容堂さんに、徳川慶喜さんに大政奉還を進言させた話は有名。この地図ができてしゅっと、七百石取り、中老格に出世して、明治を迎えちょります。
この後藤さんちでも、やっぱし朝は豆腐の香りと蝉の声で目覚めよったがでしょうかね。