フランクチャムピオンの飛行帽〔148〕2003/09/11
2003年9月11日(木)晴れ
昨日のにっこりに書きました、「鬼龍院花子の生涯」鬼政のモデルとなった鬼頭良之助は、大正期に高知で様々な興行を行いました。そのなかでも極めつけは、大正6年の「フランクチャンピオン」による航空ショーでしょうね。以前、このにっこりでも一度書きましたが、アメリカ政府から飛行機の有用性をPRするために派遣された飛行家フランクチャンピオンを高知へ招き、鏡川畔の柳原にヒトを集めて航空ショーを開催したのです。この興行主が鬼頭良之助でした。
全国でショーを開催したのですが、高知がその最終興行だったそうです。そして、10万人の観客が見守るなか、翼が根元から折れる事故のため墜落、チャンピオンは亡くなってしまいました。
そのことを悼み、鬼頭良之助はチャンピオンを記念する碑を建立しました。柳原橋のすこし上流の北岸に建ってます。ここまでは前回も書きましたが、ひまわり太郎が知らなかった事実がひとつ判明しました。この記念碑のてっぺんが、なにやら丸くなってますよね。わかります?これは、チャンピオンの飛行帽を型取ったものだそうです。この辺に、鬼頭良之助の心遣いが感じられて何となくうれしくなってしまいます。
鬼頭良之助は、最後の大親分、大侠客で義賊だったのが、何となくわかるような気がします。