隅田川、佃島〔1459〕2007/04/14
2007年4月14日(土)は~るの うら~ら~の す~み~だ~が~わ~
は~るの うら~ら~の す~み~だ~が~わ~
てな訳で、今朝は東京。昨日、新幹線でやって来ました。こぢゃんとエイお天気で、汗ばむ陽気。が、今、羽田空港でこのにっこりを書きゆうがですけんど、札幌空港は雪で天候調査とかなんとか言いよりますね。ニッポンは広いです。さてさて、昨夜は東陽町で泊まりました。東陽町と言うより深川の東のほうと言うたほうがわかりやすいでしょうか。所謂江戸の下町中の下町ですな。で、隅田川までちっくと往復するつもりで走りにでました。
が、隅田川界隈まで行きますと、佃島が目の前に。こりゃあ行ってみんといかんと思うてその界隈をたつくりました。行ってみて、こぢゃんと良かったです。
今、東京はバブル。まさにバブルです。高層ビルが次々と建設されよりまして、昨年買うたマンションが3000万円値上がりした、とかという訳のわからん話が飛び交う不思議な町東京。特に、日本一景気低迷が続く高知に住みゆうひまわり太郎からしてみると異国のようなお話ですね。で、この隅田川河口界隈も、ものすごい開発の嵐が吹き荒れ、ドデカイビルが建ちまくりよりました。月島や石川島のビル群はすんごいです。しかししか~し!
佃島には、奇跡のように下町が残っちょりました。由緒ありまくりの住江神社を中心として、その一角だけ、昔ながらの家々が立ち並び、「佃煮」の看板もあちこちに見受けられ、ここに住む皆さんの人情がダイレクトに感じられるたたずまいながです。佃島は、徳川家康さんが大阪摂津の佃から漁師さんと住江の神様を連れて来て、干潟を埋め立てたのが始まりらしいです。隅田川河口ということで、海運や漁業で栄えました。元々島ですきに、橋の無い当時は、対岸の鉄砲洲とかからは船で渡ってきます。
この写真は、石川島の辺りの川縁から南、佃島、月島方面を眺めたところ。隅田川に架かっちゅう橋はには「つくだおおはし」と書かれちょります。昭和30年代後半に架けられた橋。その橋ができるまで、今は「佃島渡船跡」という記念碑だけ残る船着場から対岸まで、渡船が往復しよったそうです、昭和30年頃には一日70往復しよったと言いますきにすごいですな。
佃島の下町風情、これは日本人が忘れたらいかん、壊したらいかん奇跡の風景やと思います。