高知の城下の山内家下屋敷〔1394〕2007/02/08
2007年2月8日(木)曇り
しかしまあ、昨日はヌクかったですね。暑いくらいでした。思わず車のエアコンを入れてしまいました。今日も暖かい朝を迎えちゅう高知市内。ここは鷹匠町。
藩政期、ここに藩の御鷹部屋が置かれて鷹匠さんが住んじょったことから付けられた、なかなか風情のある町名でございます。幕末になり、昨日ご紹介した山内容堂さんが、この界隈に下屋敷をつくりました。家臣7名の邸を召し上げてつくったとのことですきに、こぢゃんと広い敷地やったことでしょう。現在は「三翠園」様というホテルや公園になっちょります。
が、写真左手の建物だけは残っちょります。山内家の番士が住み込んだ長屋。昼間、拝観できますきに幕末の空気を感じたい方はご覧になってみてください。
昨日は、江戸の土佐藩山内家下屋敷と、「鯨海酔候」山内容堂さんの墓所をご紹介しましたので、今朝は高知の下屋敷にしてみました。この、番士長屋の横の坂道を登って降りると鏡川の河畔。右手の森は、明治になってできた山内神社の森。
この写真は南向いて撮影しちょりますが、反対に北向きますと、正面に高知城の天守閣が見えます。ここに住んで高知城へ出勤するとしますと、追手門までが徒歩10~15分、追手門から仕事場のある二ノ丸まで登るのに5分~10分といったところでしょうかね。こっからですと、高知城南西の登り口から上って行った方が近道にはなります。昔動物園のあった坂道。そこから梅ノ段へ上り、当時は存在したという梅ノ段から二ノ丸へつながる石段を上ると、すんぐそこが殿様の仕事場やったことになりますきに。
ここの下屋敷をつくった頃は、容堂さんは、すでに藩主は引退しちょりましたき、正確に言うと殿様ぢゃありません。全国レベルで活躍しよりました。もう、高知城へ上ってお仕事、という感じではなかったでしょう。この下屋敷で西郷隆盛さんと会談したりしちょります。ここで天下国家の策を案じ、江戸と行き来しよった訳ですね。