日章の飛行場、三島村〔1392〕2007/02/06
007年2月6日(火)高知も東京も晴れ
今、羽田空港のロビーで、このにっこりを書きよります。今朝一便で飛んで来ました。朝、高知空港のしゅっとそばにあるご覧の記念碑まで、空港から歩いて撮影に行っちょりました。空港でちっくと時間がありましたですきに。
今、高知新聞朝刊に「はりまや橋界隈」という連載が書かれよります。元土電の職員で、写真家の恒石晃志さんという方が、その昔撮影した街の風景写真に、逸話を織り込んで書かれゆうもので、なかなか面白い連載。
昨日の記事に、ここ高知空港は、戦前、三島村という村で三つの山があり、海軍航空隊の飛行場をここに建設するために接収されて小学校もなくなった、という内容が書かれちょりました。そこで、今朝はその記念碑をご紹介してみることにしました。
写真の碑は、1999年に建立されたもので、ここに三島尋常高等小学校があったことを記しちょります。
元々、今年も初日の出を拝んだ「久枝」と、「下島」、南国工場のある「物部」の三村が合併して「三島村」になったのが明治22年。昭和16年には三島村国民学校となりますが、昭和17年、海軍の意向で三島村、立田村、田村の三村が合併して日章村となり、三島小学校はなくなって、日章村国民学校に統合されたのでありました。
ここに建設された海軍航空隊の飛行場が日章飛行場となります。
「日章」という名称、どこから来ちゅうがでしょうか。今度調べてみんといけません。ひょっとして、海軍の基地ができて日章旗がはためいたところから来ちゅうがかも知れん、と、突然思い当たってしまいました。
今、この界隈も南国工場界隈も、古い人は「日章」と呼びます。ひまわり太郎も「日章」と呼びます。が、地名としての「日章」は、現在残っちゃあせんかも知れません。調べんといかんことが一杯できて、嬉しゅうなった日章の朝でした。