下関、関門海峡、壇ノ浦、平知盛さん〔1344〕2006/12/20
2006年12月20日(水)下関も晴れちょります
昨日、新幹線で東京から下関までやって来ました。遠いですね、やっぱし。夜、新下関へ到着、在来線で下関まで出て泊まりました。下関漁港の前のホテルで、磯の香りが嬉しかったです。で、今日は朝から行動せんといかんかったので、走りに出たのは午前5:45。まだ真っ暗けの下関駅前から、関門海峡沿いの道路を走るがは心地良かったです。しゅっとそこが海で、海の対岸は九州の門司。近いですね、泳いで渡れそうです。
下関は、外国船が出入りしたり、九州への玄関やったりした為、レンガ造りとかのユカしい風情の建物が多いです。この狭い海峡を見張るのは「海峡交番」。なにやらカッコエイぢゃあないですか。
写真は、赤間神宮の海の参道入り口から関門橋を眺めるひまわり太郎。大きな燈籠が二つ、海の参道脇に鎮座されちょりまして、その間の石段に関門海峡の波が打ち寄せよりました。左に関門橋が、その右手に九州の灯りが見えよります。関門橋のこちら側の袂近くには壇ノ浦古戦場跡。つまり、この前の海で寿永四年(1185年)3月24日に繰り広げられたのが源平合戦のクライマックス壇ノ浦の戦い。その戦いに敗れ、入水した8歳の幼帝安徳天皇の話はあまりにも有名。実は密かに壇ノ浦を逃れ、四国の山中に逃れた、てな話もあります。高知の越知の横倉山にも安徳天皇の御陵参考地というががありますね。
史実は、ここ壇ノ浦で入水したということになっちょりまして、赤間神宮はその安徳天皇を祀った神社。関門海峡、壇ノ浦を見下ろす高台の上に鎮座ましましちょります。
現在は、関門海峡の鎮めの神様として尊崇されよります。
ひまわり太郎の右手に白い立て札と何やらオブジェがございます。これは大きな碇。船の碇ですね。壇ノ浦の合戦も終盤、平家の敗北を見届けた大将平知盛さんは、遺体が晒し者にならないようにとの武士の心得で、碇を担いで入水した、という言い伝えがあります。お能とか歌舞伎でも有名な場面。
壇ノ浦合戦800年を記念して、昭和60年に、赤間神宮の海の参道入り口に大きな碇が奉納されたのでした。