中の島、丸山台、大畑山、板垣退助さん〔1305〕2006/11/11
2006年11月11日(土)曇り
今日は土曜日。Jr.1号と朝の中の島棒堤のトン先まで散歩に行っちょりました。10月14日のにっこりで撮影した場所からさらに東の一番先っぽ。ここからは丸山台がしゅっとです。あの島の上で宴会とかしてみたい、という野望を語りよりましたら、今は無理ぜよ、と言われました。理由はですね、あの島の上は鳥の糞が積もりに積もっちょってまともに歩ける状態ぢゃあないなっちゅうきらしいです。成る程。今朝もたくさんの鳥が飛び交いよりましたが、丸山台は鳥さんの楽園になっちゅうという訳です。それはそれでそっとしちょいちゃった方がエイかも知れんですね。
ただ、ここから見てみるとキチンと公園みたいになっちゅうことがよう判ります。時々、釣り人が訪れるのみのこの島、一度は渡ってみたいと思いよります。
写真左端の向こう側に写っちゅう建物は弘化台の高知中央卸売市場。てっぺんに大きな鯨の看板があるのが目印。丸山台の向こうの山は大畑山で、その山の向こうに近年できたのが高知医療センターでございます。
この棒堤のトン先を左へ回ると堀川。昔、船が主要交通手段で輸送手段やった頃、この界隈にはたくさんの船が浮かんじょったことでしょう。浦戸湾内でもニロギやらチヌやらを釣る船がどっさりおったとのこと。10月14日のにっこりにも書きましたが、今よりもだいぶ広かったこの丸山台には明治の頃には温泉場(本物の温泉ではないですが)が会って毎日賑やかに宴会が繰り広げられよったらしいです。
この中の島のしゅっと西に立志社の最初の本部がつくられました。板垣退助さんや片岡健吉さんの主導ですね。板垣退助さんの家は、この丸山台の右手、浦戸湾沿いにありました。立志社はその後現在の新京橋のあたりに移りましたが、ここから堀川を遡れば近いもんです。板垣退助さんは、家と丸山台と九反田の立志学舎、新京橋の立志社を行き来するのには絶対船を使いよったと思います。中の島トン先に立って見回すと、全部近いもんです。絶対に船やったでしょうな。