隅田川、両国橋、柳橋〔1275〕2006/10/12
2006年10月12日(木)東京も秋晴れ!
今日は東京。昨夜は、六本木の、岩崎小弥太さんのお庭があった場所にある立派な会場で、色んな分野で活躍されちょりますすんごい方々を前にして「宇宙」のお話をしてきました。「宇宙」に関わると、色んなことが起きますね。
今朝は早朝から大島から隅田川界隈をたつくりまわってきました。気が付くと、1時間半もたつくっちょりました。この界隈、色んな史跡やら由来のあるものやらがどっしこで、ビッシリ立ち止まらんといかんので、なかなか走るになりません。
ここは隅田川、両国。左の赤い橋がご存知「両国橋」。ご存知の通り、その昔、武蔵国と下総国にまたがる橋やったので「両国橋」。
両国橋でひまわり太郎が思い出すのは、何と言うても、大好きやった三波春夫さんの長編歌謡浪曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」ですな。最後の場面、大石内蔵助さんに助太刀を申し出た俵星さんは、ここは赤穂浪士の花道ということで内蔵助さんに「かたじけない」と辞退されます。そこで俵星さんは、この両国の橋の袂で槍を構えて、討ち入りに邪魔が入らないよう仁王立ちになっちょったというお話。この橋のしゅっと東が本所松阪町で、吉良さんのお邸があったのであります。
写真の対岸は武蔵国で、右手に緑色の橋が見えよります。ここは、隅田川に神田川が流れ込んでくるところ。遠く井の頭公園に端を発する神田川は、ここが終点。その河口に架かる橋が「柳橋」。柳橋と言えば芸者さんですよね。江戸時代からここはこぢゃんと賑わう場所でした。船遊び客の船宿が溢れるこの場所に初めて橋が架かったがは1697年、元禄10年とのこと。赤穂浪士の討ち入りの時は、架けられて5年目ということになりますな。明治になってからも、新橋と並ぶ花街となって栄えたのであります。写真でわかりますでしょうか。今でもこの神田川河口界隈には船遊びの料理屋さんの船がどっしこです。今はもう「花街」という雰囲気ではないですけんど。
この橋の近くには火伏神として石塚稲荷神社さんが祀られちょりました。その石門は「柳橋藝妓組合」「柳橋料亭組合」の寄進でございます。