梅の辻、梅ノ辻、安全地帯〔1242〕2006/09/09
2006年9月9日(土)曇ったり晴れたり時々降ったり
なにやら不安定なお天気が続く高知県地方です。暑いこたあ暑いですな。
さて、昨日のにっこりで「梅ノ辻」と「梅ヶ辻」と「梅の辻」のお話をしました。ひっとつ間違うちょったのは、土電の電車の停留所の四角い駅名看板のこと。ご覧の様な表示になっちょりますが、四面に停留所名を書いちゅう訳ではなく、「梅の辻」の反対面には赤い文字で「安全地帯」と書かれちょりました。訂正いたします。と、言う訳で、西と東向いた二面には「梅ノ辻」、一面が「梅の辻」というのが正解。
土佐電気鉄道さんのホームページを見てみますと、電車の時刻表のところには「梅の辻」と書かれちょりました。このホームページ、土電さんの歴史を詳しゅうに書いちゃありますので、なかなか面白いです。これによりますと、この梅の辻から桟橋の間は、開業3年後の明治40年には早くも複線化完了とあります。この電車道も、その際に4間から6間に広げられたとのこと。明治も後半になってくるとニッポンも、そして高知も産業が急速に発展して参りまして、物資が大量に行き交い、ヒトの移動も激しゅう行われるようになってきました。そして、孕のクに桟橋ができて大型船が発着できるようになり、高知の表玄関が、この桟橋になって、こぢゃんと重要な交通の要になったのでありました。
その頃の高知の街の中心地は堀詰。桟橋と堀詰を結ぶ土電の電車は、高知の街の大動脈やったという訳で、とっと早うから複線化されたがですね。なるほど。
当時の駅名は「梅ノ辻」でした。