能茶山の窯〔119〕2003/08/13
2003年8月13日(水)曇り
昨夜のよさこいのフィナーレ、すごかったみたいですね。見に行けなかったのがとても残念!また来年に期待しましょう。
さてさて、今晩はよさこいに引き続いての鏡川納涼花火大会です。鏡川の岸辺を走ってみましたが、早朝というのに、シートを敷いての場所取り合戦が始まっちょりまして、良さそうな場所はもう無くなってました。皆さんすんごいですね。朝の5時半ですよ。ひまわり太郎も脱帽です。
そういう訳で、今朝も鏡川遡行コースを走ってきました。鏡川沿いで、河原が公園のように整備されていて美しいのが紅葉橋下流の辺りです。縄手町の前の堰の周辺がご覧のような公園になっちょります。対岸が鴨部(かもべ)地区。立ち並ぶマンションの向こう側には、歴史と伝統を誇る能茶山(のうさやま)があります。今はどでかいマンションが聳えている小高い山ですね。
土佐藩は、17世紀中頃、高知城の北、江ノ口川の北岸に尾戸焼窯(おどやきがま)という御用窯をつくり、優れた茶器などを焼いてきました。これを1820年頃に鴨部の能茶山に移転、肥前の樋口富蔵など、九州や讃岐から優秀な職人を招いて技術を向上させ、間もなく肥前亀山にも勝ると称せられるすばらしい作品を生み出すようになりました。
作品には皿鉢や徳利、お猪口などの日用品が多く、また、当時の文人墨客が筆を執った絵付けものも多数のこされております。武市半平太や川田小龍らの作品もあるそうですよ。見てみたいですね。