大津城、大津御所、一条橋〔1182〕2006/07/11
2006年7月11日(火)曇りですが暑い!
蒸せます。曇っちょりますが蒸せます。この湿度で最高気温は30℃を超えましたので、蒸せるですね、ホント。
ここは大津。高知市東部、南国市との境に近い古い古い町、大津。前方の山のてっぺんには、中世、大津城というお城がありました。主は「天竺右近花氏」さん。細川氏の流れを汲む武将ですね。今、そのてっぺんには古城八幡宮がお祀りされちょります。時代は下って戦国末期、土佐西南部を支配した公家大名一条家の最後の当主、一条内政(ただまさ)さんが、長宗我部元親さんによって中村からここに遷され、住むことになりました。
大津御所と呼ばれたがですな。そのことによって、土佐一条家は崩壊することになりました。
因に、土佐一条家は、応仁の乱を逃れて京から中村へやって来た前関白太政大臣一条教房さんを祖とします。一条家と言えば、鎌倉時代、九条家から分かれた、五摂家のひとつ。鎌倉、室町、江戸時代を通じて、摂関には、九条家と、そこから分かれた一条家、二条家、そして近衛家とその分かれの鷹司家の五つの家から輩出されたと言いますきに、一条家は名門中の名門。しかし、元親さんにここへ連れて来られ、その後国外へ追放されて土佐の一条家は姿を消してしまったのであります。
写真の橋は、そういった訳で「一条橋」。橋の欄干には、一条氏の家紋である「下がり藤」が刻まれちょります。で、手前の電停が「一条橋」電停。橋の向こうにも電停が見えよりまして、そこは「清和学園前」電停。これほど近い電停も珍しいですね。20mも離れてないがやないでしょうか。
清和学園前電停の手前に鳥居が見えますが、これは「天竺神社」の参道入り口。天竺氏をお祀りする神社ですね。
古い歴史が渦巻く一条橋界隈です。