大膳町由来〔104〕2003/07/29
2003年7月29日(火)曇り
今朝は鏡川月の瀬橋から上町方面をたつくってきました。写真は、電車通り上町2丁目交差点から少し北へ登りました、江ノ口川に架かる梅田橋から大膳町方面を撮影したもの。早朝ですので、殆ど車も通ってませんが、昼間はかなり交通量の多い通りになっちょります。
大膳町は、明治までは「大膳様町」と呼ばれておりました。山内大膳という偉い人が住んでおったことに由来する町名ですな。
江戸時代に入りまして、山内氏が土佐藩主として土佐の国を統治するようになりました。土佐の国西南部に中村という町があります。ひまわり太郎がちょくちょく出張で行くところですね。その一帯を、土佐藩の支藩として、山内一族の中村山内氏が支配します。その中村山内氏3代藩主山内豊明(やまうちとよあきら)-通称大膳亮- は、幕府にいちゃもんをつけられて所領を没収、後継も亡くなったため、中村3万石はお家断絶となってしまいました。1689年のことです。
その後、1692年に山内大膳は許されて、高知の城下に住むことになったそうです。その居住町を、大膳様町と呼んで親しまれてきました。「大膳町」という町名の由来でした。