高知越前郵便局、山内一豊、百々越前〔1030〕2006/02/09
2006年2月9日(木)晴れ!
今日もおだやかに晴れちゅう高知市内。小春日和の一日を、皆さんいかがお過ごしですか?
今朝はようたつくりまわらんかったので、お仕事中に通りかかったここ、高知越前郵便局前の風景を撮影してみました。お城の西、城西公園のもう少し西、越前町にある郵便局。
この越前町という町名の由来は、このにっこりを愛読下さっちょります濃いファンの皆さんはもうご存知ですよね。そう。高知城の築城奉行、百々越前(どどえちぜん)さんの邸があったことに由来します。
1601年、山内一豊さんが関ヶ原の功で土佐へやって来ました。で、最初は長宗我部の浦戸城に入城するのでありますが、自分のイメージする城下町をつくるのは、どう考えても大高坂山の下の平野以外に考えられません。一豊さん、すぐれた土木工事現場監督でもあった秀吉の部下の中でも、超一級の土木工事大得意武将やったがです。なかでも治水はお手の物。誰もが、長宗我部元親さんでさえも諦めたこの場所に、敢然と城下町を建設したのでありました。で、その町を見下ろす大高坂山には立派なお城を建設せんといけません。
そこで、関ヶ原で西軍についたせいで京都に蟄居しちょりました近江出身の武将、築城の名手と言われた百々越前守安行さんにお願いし、7000石の知行、格式家老という破格の待遇で土佐へやって来てもらい、築城の総奉行としてその腕を揮ってもろうたのでありました。その頃、築城で一番気を付けんといかんのは長宗我部の残党の蜂起。まだ固まってない山内治世の時代、とにかく立派なお城を大急ぎでつくらんといかんかった訳ですな。越前さん始め、老若男女の獅子奮迅の働きで、1603年には本丸などが完成して一豊公が入城しました。
この界隈に越前さんは住み、徒歩5分の大高坂山で腕を揮いよったとうお話ですね。