石立八幡宮、応神天皇、神功皇后、武内宿禰さん〔940〕2005/11/11
2005年11月11日(金)曇り
今朝も早朝から鏡川でございます。
ここは、新月橋の南詰、石立八幡宮の参道入り口。ここから南へ行くと石立十字路で、更に南進すると神田を経由して治国谷(じごくだに)を越えて春野町へ。その昔からこのルートはあった様で、確か、その山越えの途中、少し山へ入った場所でタタラ製鉄をやりよったと記憶しちょります。
ここから北へ行けば「思案橋」。藩政期には番所がありまして、明治になると思案橋から西には遊郭街が広がり、その後赤線となりまして、最近までゴチョーメと呼ばれてその名残を残しちょりました。現在の町名で言うと上町五丁目なんですね。
さて、ひまわり太郎は、結構神社仏閣が好きです。で、神社の場合、結構その御祭神が気になります。皆さんは気になりませんか?
ここは石立の八幡宮。八幡様は、大概の場合応神天皇と神功皇后を祀っちょりますね。そして武内宿禰(たけのうちのすくね)さんも。
このお三方、古代の日本では重要な役割を果たしちょります。夫である仲哀天皇が失敗した九州熊襲征伐(失敗の原因は、神のお言葉を無視したから)を、成功に導いたのが神功皇后。そして九州で産み落としたのが応神天皇で、後継ぎ争いが起きた大和へ一緒に戻り、その後の大和政権安定の基盤を構築します。その間、ずうっと補佐をしておったのが長命の武内宿禰さん。
八幡宮で一番元となるのが宇佐八幡宮ですが、これも九州で、海や水運に関係が深い。ここに祀られちゅう宗像の神「狭依姫神」や「水速女神」も、海に関係する神様たち。色々と想像が膨らんでしまうのであります。
その後、八幡様は、源家を始めとして武士層に篤く信仰されていくことになるのであります。