松山へ行くぞなもし〔906〕2005/10/08
2005年10月8日(土)愛媛も小雨ぞなもし
今、松山自動車道を、一路松山に向けて走る車の中ぞなもし。
本日、松山で知人の娘さんの婚礼がございまして、それに出席すべく行きゆうところながですね。あんまし深う考えちょらんかったんですが、今朝起きたあと、ハタと気付きました。礼服が要る!
高知の婚礼では、どんなにこうべった婚礼でも、親族以外が礼服を着ることはまずありません。皆さん普通の背広で出席します。それが当たり前、常識なので、今日も普通の背広で行くつもりやったがです。が、しかし、愛媛では、他の地域と同じように黒い礼服で出席する習慣があるのではないか?
不安になったので、愛媛出身のヒトに聞いてみましたら、やっぱしそうでした。
で、会社へ行って慌てて礼服の準備をし、持っちょりませんでした白いネクタイを買うてきました。やれやれ。
写真は、先ほど通過した川之江東ジャンクションの手前。ここから右へ行くと徳島、左が松山か高松でして、四国の高速道路のいわゆる「まんなか」。
ここは「四国中央市」という、なにやらおっこうな名前の町。製紙で栄える川之江市と伊予三島市が合併してできた新しい市ですな。誰が考えた名称か知りませんが、妙に味気ない、それでいて野望が見え隠れする名前です。確かに時間距離で
言えば、各県の県庁所在地のまんなか辺に位置するのは間違いありません、「四国中央市」。
戦国の昔、四国を制覇した英雄長宗我部元親さんは、現在の阿波池田の辺りに白地城というお城を築いて四国中に睨みをきかせました。当時は高速道路や国道が無かったので、そのあたりが時間距離の中心部やったがでしょう。しかし元親さんは「四国中央城」などという名称にはせんかったですな。