山内神社と宝物と資料と観光〔810〕2005/07/04
2005年7月4日(月)曇り
今朝の高知市内は曇り空。午後は雨になりそうな予報でございます。今日も早朝から鏡川沿いは歩く人々で賑わいます。ひまわり太郎も、気持ちのエイ汗をかいてきました。その、いつものコースの脇に、この「山内神社」が鎮座しちょります。毎日のように横を通り過ぎるのですが、あんましご紹介したことないですね、このにっこりでは。
ここ山内神社は、高知城に隣接する藤並神社(縁台将棋が有名ですな)のお旅所があったこの場所(鏡川縁りの柳原)に、明治4年に建設されました。
その際には3代忠豊公から14代豊惇公が祀られた(初代からは藤並神社、15代16代はまだ生きちょりました)のでありましたが、昭和45年には藤並神社と合併したので、初代一豊公から16代豊範公まですべての藩主が祀られることになったのであります。
ここには「土佐山内家宝物資料館」がありまして、山内家の財宝や貴重な資料が山のように保管、一部が展示されちゅうがです。で、企画展をやりながら常設以外の資料を一般公開したりしゆうがですね。今月はご覧の看板にあります通り、山内家に保存されちょりました明治初期の写真。昨日見に行ってきましたが、なかなか興味深かったです。
来年の功名が辻に向けて、高知を愛する私ひまわり太郎の考えと致しましては、高知城とつなぐ観光地としての価値が、この場所には十分にあると思うのです。しかし展示室が狭い!
てなわけで、その年限りの博覧会場みたいなのに金をかけず、閉館した山内会館などを利用してホントに素晴らしい山内家の財宝や資料を一般に公開、観光ボランティアが丁寧に説明する、などという試みに少しだけ金をかける、という方がずっとずっと価値あるものになると考えるのでありました。後々にもつながっていきますしね。