ここに、文化があった〔7975〕2025/02/14

2025年2月14日(金)晴れ!
ひやいねー。今朝もひやい。
それにしても、昨日、高知県立埋蔵文化財センターのY課長とも話したけど、若宮ノ東遺跡って、すごい遺跡だ。日本で律令制度が始まった時代の有力な評衙(郡衙)と見られる建物や正倉の跡が見つかった話は、以前にも書きました。それだけでも結構すごいのに、今回は国内最古かも知れない漢字列の刻まれた刻書土器の出土。専門家は、そんな時代の刻書土器なんてある訳ない、と思い込んで見過ごすところ、土器片を整理してた作業員の方が、なんか不思議な文様みたいなのがある、と気付いて報告したところから、この発見につながったとのこと。
高知県立埋蔵文化財センターでの特別展示では、現地の写真パネルなんかも掲示されてました。その写真によりますれば、その刻書土器が出土したのは、この目の前辺り。竪穴式住居跡があり、その角から発見されたと言います。すごいねー。
そしてここには、7世紀後半には評衙の建物が建ち、正倉も、建つ。
弥生末期の竪穴式住居があった風景を想像してみよう。それはただの竪穴式住居ではなく、漢字を刻んだ土器を焼く、高度に文明化された人々が暮らす、竪穴式住居。そして集落。
地形分類図を見ると、ここは更新世段丘の先っぽ。地盤は、固い。そしてすぐ南は扇状地の肥沃な平野。田村遺跡がなんらかの理由で終焉を迎える頃、この土地は、田村集落から移住した人々によって形成された中心集落のひとつだったのか。そしてその土地は、律令時代、奈良時代を通じて、土佐の中心的な街のひとつだったのか。
そんな時代に思いを馳せ、風景を妄想する。楽しいねー。
ここは、高知県立埋蔵文化財センターの北。Y課長も、埋文のこんなにも近くに、こんなにも重要な遺跡があったことに驚いてました。なんか、運命を感じるね。
どうやら、この秋には、若宮ノ東遺跡全体の企画展をやるようで、土器の漢字の鑑定をした平川先生の講演もあるようです。楽しみ楽しみ。
楽しみと言えば、今日は、弊社に生乳を納入してくれている酪農家さんたちの組合、高知県中央酪農組合連合会の、乳質表彰と新年会。もちろん葉牡丹で、お昼から。
弊社にとってに重要なイベントのひとつ。
さあ、今日も酪農家さんたちと、懇親を深めまくろう。その深さが、ひまわり乳業の大切な財産だから。楽しみ楽しみ。