埋文で「何不」〔7974〕2025/02/13

2025年2月13日(木)晴れ
東京とか、急に気温が上がってきた、みたいなニュースやってたけど、高知はひやいねー。ひやい。なかなか春にはなりません。
そんな中、行ってきました。高知県立埋蔵文化財センター。そう。こないだ書いた、若宮ノ東遺跡から出土た土器片が、2月7日から展示されている、高知県立埋蔵文化センター。略称埋文。
で、その埋文へ行き、お忙しい中ではありましたが、旧知のY課長さんに、詳しく説明して頂いたのでした。発掘、発見の経緯から、平川先生の鑑定の状況、結果、様々なわかったこと、考察などなど。やはり、当事者にお聞きするのが大切やねー。とても勉強になりました。
まず、漢字列であることの鑑定。これは、その道の権威である平川先生だけではなく、その研究グループで討議し、綿密に調査を繰り返して、「何不」で間違いないだろう、という結論になった、とのこと。書き順も判明しており、留め、払いなども、文字を書き慣れた人の手によるものだ、とされています。
実際、今日、実物を間近で見てみると、確かに人間の手で彫られたみたいに見えますな。
で、これが焼成前の段階で彫られた文字である、とした理由は、焼成後の傷とかだと、その断面が青く変色したりするそうで、そうなっていないこと等から、焼成前と断定したとのこと。
朝鮮半島などで焼かれたものが、ここに運ばれた可能性はないのか、と聞いたところ、その可能性は無い訳ではないが、わざわざこの様なものを運ぶ必然性の問題があるのと、何より、粘土に含まれる岩石、鉱物などから、高知平野界隈で焼成された可能性が高いと思われるとのこと。チャートの小片が多く含まれており、それは、この辺の土の特徴だ。僕らのチャート。
その粘土(胎土)を化学分析したら、どこの土かキチンとわかるんではないか、とよく言われるけど、瀬戸内海の花崗岩とかと違い、秩父帯とかでは場所の特定が難しいんだそうです。なるほど。
田村遺跡では、弥生時代初期の、朝鮮半島の磨製石器がたくさん出土してます。日本一と言われるほどの出土量。なので、その当時には、朝鮮半島から技術を持った渡来人が高知平野界隈にやって来て住み着いたのは、間違いないところ。
この漢字列の土器片は、土器の編年から、2世紀末~3世紀初めとされており、土佐では未だ弥生末期。その頃、朝鮮半島との往来があったのかどうかは不明やけど、もし漢字列であれば、そしてその感じが書き慣れた漢字であれば、渡来系の技術者の存在が想像できるのでした。
今まで、日本最古の漢字列とされている埼玉県稲荷山古墳の鉄剣は、5世紀後半なので、もしこれが漢字列とすれば、一気に200年~300年遡る訳だ。
Y課長は非常に控えめな好人物。今まで、こんな時期の土器に文字列があるなどと思ってもいないので、他の地域でも、見過ごしている可能性がありますね、と言います。この発見がきっかけで、あちこちで同じ様な文字列が発見されるかも知れない、などと欲のないことを、おっしゃってました。さすが、Y課長。
ともあれ、この土器片。高知県立埋蔵文化財センターにて、今月末まで特別展示やってますので、お興味がおありの方は、ぜひ。いやー、勉強になりました。世の中知らないことだらけ。