高知県立公文書館にて〔7973〕2025/02/12

2025年2月12日(水)曇り
今日は、重要な会議があって、高知県立公文書館に来てます。いや、公文書関連の会議ではなくて、業界関連。ここの3階にある会議室で、午後、開催されます。
さて、公文書館。2020年(令和2年)に開館したばかりの高知県立公文書館は、前年に制定された県の条例に基づいて設置されました。近年、公文書管理のあり方など、結構問題になりましたもんね。HPには、「歴史公文書等を取集。整理。永久保存をし、後世に伝えるとともに、これらに関する調査研究や県民の皆様にご利用いただくための施設」と書かれてます。
この建物、2017年末までは高知県立図書館でした。いやー、お世話になりました。僕が高校生の頃、高知の公立図書館でクーラーがついてたのは県立図書館だけ。なので、夏の試験期間中などは、なかなかの人気でした。私立では塩見文庫にクーラーがあったけど。
その県立図書館ができたのは1973年のこと。僕が小6。だから、僕にとっての県立図書館の記憶は、ここしかない。
ここに県立図書館が建つ前は、藤並神社がありました。藤並神社は、1806年(文化3年)に、初代藩主山内一豊夫妻と二代藩主忠義公の3柱を祀って創建。で、1970年(昭和45年)に、明治維新後に創建された山内神社に合祀され、ここに神社はなくなったのでした。僕には、ここにあった藤並神社の記憶がないのは、残念。小学生時代、高知城で遊んでたのにね。興味がないということは、そういうことだ。
ここが現在の公文書館、つまり県立図書館があった場所で、ここが現在の県立文学館、かつての郷土文化会館。どちらにも建物が見えるね。古い市街図を見てみると、北の突き当たりに「藤並神社」、左手に「春日神社」とあります。春日神社に言及した資料が少ないのでよくわからんけど、春日神社というと藤原氏の神様。で、潮江村の宇津野山、藤並の森に春日神社の御祭神、天兒屋根命を祀っておった縁で、藤並神社となったとかなんとか、よくわかりません。明治初期の地図では、文学館のところの東側に「春日宮」、西側に「藤並神社絵馬堂」。
土佐山内家は、藤原秀郷の末裔ということで藤原氏の流れ。なので、春日神社があり、藤並の「藤」は藤原氏の「藤」なんでしょうか。
藩政期初期を表している絵図には「野中主計」の名前。そう。野中兼山の屋敷がありました。ご承知の通り、野中兼山失脚後、野中家は断絶、屋敷地は没収。その後の絵図では誰の屋敷にもなってません。絵図にも、何もない。その場所に、1806年になって、藤並神社が創建された訳だ。
野中兼山邸から空白の時期があって藤並神社。そして県立図書館と郷土文化会館。郷土文化会館は文学館になり、図書館は公文書館に。
そうそう。公文書館の建物には、「高知まんがBASE」という、高知のマンガ文化を発信する施設も入居してるけど、ご存じですか?
これもPRせんともったいないねー。
そんな歴史と文化の場所で、これから、仕事です。