「南国高知FC」前史〔7969〕2025/02/08

2025年2月8日(土)晴れ
心配してた山の雪ですが、幸いなことに、高知自動車道の雪による通行止めは朝6時に解除。良かった良かった。そんな道路を通って関西方面へ走っている車中で、このにっこりを書いてます。
で、今朝の高知新聞。一面トップの見出しが「本気でJへ 夢つないだ力」。そう。J3への昇格が決まり、やっと「Jクラブ」入りを果たした「高知ユナイテッド」の、この25年間の軌跡を描く特集の第一回が、今朝の一面を飾ったのでした。
よさこい高知国体に向けて結成された「南国高知FC 」が、その始まりであった、という話が第一回。この記事をご覧ください。少しだけ転載しよう。以下転載。
1999年春、県内に一つのチームが誕生した。3年後の「よさこい高知国体」に向けてできた県選抜の「南国高知FC」だ。県サッカー協会副理事長だった福富和平治(76)らが「地元国体で勝たないかん」と奔走し、県内トップの「ひまわり牛乳南国クラブ」の選手や、県外のJFLで活躍する県出身選手をかき集めた。
以上転載。
そうなんです。高知ユナイテッドののルーツである「南国高知FC」は、「ひまわり牛乳南国クラブ」を母体として結成されたのでした。知ってました?
高知県には、歴史ある「南国クラブ」というサッカーチームがありました。名門高知農業高校サッカー部のOBを主体に結成されていた、チーム。「南国クラブ」は、県内で一番強いサッカーチームで、毎年、高知大学と天皇杯出場を争っていました。その「南国クラブ」の当時の監督さんやスタッフから、スポンサーになってくれないか、と声を掛けられたのは、1990年代の初め頃だったでしょうか。
で、その依頼を受けることになり、チーム名は「ひまわり牛乳南国クラブ」に。僕も、試合を見に行ったり総会や納会に参加したりして、楽しませて頂きました。
天皇杯にも「ひまわり牛乳南国クラブ」の名前で出場。1回も勝つことはできませんでしたが、有名チームにもそこそこ善戦した記憶も。何より、「ひまわり牛乳」という名前が、サッカー天皇杯に出てきたのがすごかったし、嬉しかった。
そして。上に書いたように、よさこい高知国体に向けて、オール高知の選抜チームが結成されることになって、冠スポンサーから引かせて頂いた、という歴史。もう、四半世紀も前のことか。あの頃の主力選手たちも、もう、40代後半から50代のおんちゃん。
でも、間違いなく、彼らが高知のサッカーの礎を築き、高知のサッカーの火を灯し続けたおんちゃんたち。
そして、変遷を経て、高知ユナイテッドになり、J3へ。
その軌跡を描く記事の最初に、懐かしい「ひまわり牛乳南国クラブ」の名前が出てきたので、嬉しくなって、このにっこりを書いてます。
桟橋の、南高校跡地とわんぱーくの場所にスタジアムを建設し、高知市民がとさでん交通の電車に乗って応援にでかけるJチームになったらいいね。あの頃、こんなにも観客を集めるチームになるなんて思いもよらなかった訳で、夢は追い続けると実現する訳で、妄想し続けることも大切だと思うのでした。