松山、五十一番札所石手寺〔764〕2005/05/19
2005年5月19日(木)松山も晴れぞなもし
今朝は松山。四国一の繁華街がある松山。と、いう訳で、昨夜は二番町でぐっすりやりよりました。今朝は二日酔いの身体をひきずりながらホテルの裏の松山城を一気に駆け上がりました。てっぺんまで思い切り駆け上がると、汗が大量に吹き出してきてこぢゃんと心地えいです、はい。
で、山を駆け下り、道後温泉方面へ走りましたが、今朝はそこからすぐのところのある「石手寺」まで行っちょりました。四国八十八ヶ所、五十一番札所の名刹「石手寺」。
四国では、霊場巡りが始まったそもそもは、この伊予の国に住んでいた悪徳長者「衛門三郎」である、という伝説があります。ある日この悪名高い長者の家の前にみすぼらしい僧がやって来て、托鉢します。乱暴に追い返しますが、何かを伝えたいのか、またやって来ます。毎日やってくるので、頭に来た衛門三郎は、鉢を顔に投げつけひどい仕打ちをしてしまいました。その後、様々な災難に見舞われた衛門三郎は、あの旅の僧が高名な弘法大師であったことを悟り、弘法大師を追いかけて詫びを言う旅にでます。四国霊場を21回回っても逢えません。反対に回り始めて7回目の途中で力尽き、息を引き取りますが、その直前、念願の弘法大師が現れたのであります。泣いて詫びる三郎に大師は小石を握らせ、三郎は安らかに往生。これがお四国巡りの始まりという説ですね。
後年、道後の湯築城主河野息利息の妻が子供を生んだ際、子供の左手は開きません。三年経っても開きません。で、安養寺重職に祈願してもらうと手が開いて石が転げ落ちたそうです。その石には「衛門三郎再来」とありました。衛門三郎が、生まれ変わって郷里の人々に尽くす、という思いを大師に告げていたので、再びこの世に現れたのですね。そこで、安養寺を「石手寺」と改め、皆に慕われて来た、というお話。
以前高速道路が無く、国道33号線を国鉄バスが走りよった頃、高知から松山へ乗って来ると、三坂峠を下りて来るあたりで、この逸話が簡単に紹介されよったですね。今、思い出しました。
写真は石手寺の三重塔。みやげもののおばちゃんが、ここから写真を撮りなさい、と、教えてくれました。てっぺんの屋根と二番目の屋根の間の左側、木の右に、人影のようなものが見えます。弘法大師像が写っちゅうがですね。
いや、朝から勉強になりました。