水天宮と有馬神社とBeer Tram〔7529〕2023/11/26
2023年11月26日(日)晴れ!
「波の下にも都がございます」
平家物語にでてくる有名な台詞。平家が壇ノ浦の戦いに敗れ、安徳天皇は、祖母である二位ノ尼に抱かれて海中に身を投じた。その際に、その祖母が安徳天皇に言った言葉。真偽はともかく、その悲しい物語には、いろんな後日譚があります。
そのひとつ。高倉平中宮に仕えていた按察使局伊勢という女官が、九州久留米の地に落ち延びて安徳天皇とその母の高倉平中宮、そして祖母の二位ノ尼を祀った「尼御前神社」をつくったという話があります。江戸時代になり、久留米有馬家の三代目当主有馬忠頼が、その「尼御前神社」を保護して立派な社殿を建立し、「水天宮」と改名したとのこと。それが、全国の水天宮の、はじまりなんだそう。ご存じでしたか?
高知にもいくつかの水天宮がありますが、ここもそうだったのでした。堀川、土佐橋の南袂。堀川北側堤の上に、水と火の守神として祀られ、この近在の人々に尊崇されてきた、水天宮。明治初年に有馬神社となったので、恐らくは今の人たちは「有馬神社」という認識やと思います。そもそも水天宮は、上に書いたように有馬氏が祀り始めたものなので、水天宮が有馬神社になったのは、自然の流れ。
安徳天皇入水に関係する神社なので、水の神様を祀っている、とい訳だね。ここに流れていた堀川は、藩政期、高知城下に住む人々にとっての大動脈。そこに水天宮が祀られるのも自然な流れで、このすぐ向こうに消防の屯所があるのも、自然の流れだったのであります。そして元を辿れば、壇ノ浦合戦。
安徳天皇が実は生きていた、という伝説は、横倉山をはじめ、各所に存在します。こないだ一緒に出雲へ視察研修に行った仁淀川町のKさんは、自宅の裏山に、安徳天皇が9年間住んでいた、と言うてました。しかも、壇ノ浦に沈んだとされる三種の神器のひとつ、草薙剣も、裏山にあるらしい、と。真偽はともかく、土佐の山中には平家落人の伝説が溢れてますねー。
全然話は変わるけど、この向こうがはりまや橋交差点。路面電車の線路が交差するいわゆるダイヤモンドクロスで有名。まあ、それもいいけど、とさでん交通の名物は、僕は「おきゃく電車」だと感じてます。と申しますのも、先日、大豊町へ送っていった、イギリスから農業研修でやってきた青年に、その車内で「おきゃく電車」の話をしたところ、ものすごい勢いで喰いついてきたのでした。勝手に「Beer Tram」などと訳して説明したら、別れるまで何度も「Beer Tram」「Beer Tram」とこだわっていたのでした。こりゃあひょっとすると、インバウンド需要があるのかも知れない、「おきゃく電車」。いや、「Beer Tram」。