林道とは〔7517〕2023/11/14
2023年11月14日(火)晴れ!
冷やいねー。昨日の午後、帰高したけど、高知の冷やいこと。東京よりも随分と冷える、高知の朝。一気に秋も深まって冬が近づいてきた感のある、高知。部屋に差し込んでくる朝日が暖かさを感じさせてくれて、嬉しい季節になりました。
ここに写っているのは、以前、魚梁瀬森林鉄道遺産の保存運動に取り組んでいるSさんから頂いたもの。森林鉄道に使用されていた線路をカットした、文鎮。なかなか趣があるでしょ?JRとかの線路よりは小ぶりの、可愛らしい線路文鎮。
森林県である高知には、全国に誇る森林鉄道網が広がっていたのはご承知の通り。明治40年、馬路村日浦から安田川沿いに敷設されたのが、高知での森林鉄道のはじまり。最初の動力は、犬か牛だったそう。現代人の感覚だと、馬を使いそうに思うけど、犬と牛。持久力なんでしょうか。
その後、昭和4年、安田川林道に初の機関車が導入され、本格導入となるのは昭和7年。そして急速に森林鉄道は延伸に延伸を重ねていくのでした。
国産の木材需要の激増と、それに合わせての材木輸送力強化の必要性。そんな訳で、このページにもあるように、ピーク時には魚梁瀬森林鉄道だけで、本線支線を合わせて300kmを超えていたようです。高知県全体では、740kmと書いた文献もありますね。740kmっすよ。
上に「安田川林道に初の機関車」と書きました。そう。昭和51年高知新聞社発行「高知県百科事典」によりますれば、林道とは「林産物の輸送ないし林業経営のために、森林の内外を通じて築造された道路、またはその他の輸送施設を林道という。さらに林道は、その構造によって、森林鉄道および軌道・索道・自動車道・車道・木馬道・牛馬道と流送路の七つに区分される。」と、あります。鉄道も、そして索道も、そして川までもが「林道」と呼ぶものだった。それだけ、材木とその輸送が人々に密着したものだった、そんな時代がありました。
その後。急速に道路網が整備されて材木輸送の中心がトラックに取って替わられ、国産材需要の減少が拍車をかけて、どんどんと廃止された森林鉄道。高知県で最後の森林鉄道が廃止されたのは、昭和42年。大正林道佐川山線だった、とのこと。
そして。森林鉄道を復活させたい、といった声が上がり、保存されていた機関車を修理復元し、客車も新製復元して、魚梁瀬丸山公園に400mの周回軌道を敷設して観光用に復活してます。
こんなに貴重なものになるとは、廃線当時は思ってもいなかったでしょう。もし、1路線でも、例えば田野町から馬路村までの本線だけでも使用できる感じで残されていたらね。住民の足として使いながら、観光にも供する。そんな素敵な汽車があったら乗ってみたいねー。
そうそう。そんな林道のひとつであった「流走路」については、また、今度書きますね。これがなかなか、奥が深い。