対岸からの父養寺〔7419〕2023/08/08
2023年8月8日(火)降ったりやんだり
本当にもどかしい台風の進路とお天気。今日明日は雨が続く予報やけど、風も心配やね。明日の花火は、13日に延期になりました。そりゃあそうだ。よさこいは大丈夫なのか。いやー、もどかしい。台風の、バカ。
断続的に降ったりやんだり晴れたりしてるので、会社裏手の物部川も、少し増水してます。上流のダムからの放水も続く、物部川。
物部川は、その河口近くに弥生集落が形成されたように、太古の昔より、土佐人に恵みをもたらしてきた大河。しかし時には牙を剥く。史上、幾度も幾度も、大洪水によって扇状地に壊滅的な被害ももたらしてきた、物部川。
被害ももたらすけど、その周辺に人々が暮らしてきたのは、その恵みがあまりにも大きかったからでありましょう。
こないだ、中世の城址と古代の宗教施設があったかも知れない父養寺の現地説明会のこと、書きました。そもそも、都で暮らす貴人中の貴人であった紀夏井さんが、流刑とは言え、なぜ、このような土地で暮らすことになったのか。それは、そこが当時から交通の要衝であり、豊かな土地であったからではないのか。
父養寺城趾の標高80mの山上からは、香長平野と物部川流域を見下ろすことができます。物部川、深渕には「渡し」があり、そして川湊として栄えたと思われる遺跡も、ある。そう。紀夏井さんが暮らした場所は、人々の交流が盛んな交通の要衝でありました。また、南北朝期や戦国期には、多くの豪族が争った場所でもありますね。
南北朝の頃、深渕を支配していたのは中原氏を祖とする香宗我部氏。父養寺城は、その関係のお城だったのかも、知れません。戦国期になると、父養寺城の北側、尾根続きにある前ノ山城跡があったことがわかっているけど、誰の居城かはわからない。
そこから谷を挟んで北側、標高192mの烏ヶ森の城主は、山田城主山田元義の家臣、西内氏と言われてます。山田氏は、香宗我部氏とは同じ中原氏を祖とするけど、戦国期になると勢力争いをしてました。なので、父養寺城や前ノ山と、烏ヶ森の力関係はなかなか微妙なところ。
写真は、そんな父養寺界隈を物部川対岸から眺めたもの。正面の山の、右の方の斜面に、木々が伐採されたところ、ありますよね。あそこが、こないだ現地説明会のあった父養寺城跡。なので、そこから連なる左側の山上に、前ノ山城。その左手向こう側に見えてるのが烏ヶ森城。そして、この少し下流にあったのが深渕の渡しで、その左岸には深渕城や川湊もありました。そんな、場所。
何を言いたいかというと、この界隈、古代から中世、戦国期にかけては、なかなか重要な場所であった、という話。今は静かな静かな物部河畔。物部川が増水すると、この眼前の河川敷もぜんぶ川になるけど、今は静かな物部川。台風の被害がないことを、祈るばかり。