記憶のなかのオブジェ〔7349〕2023/05/30
2023年5月30日(火)小雨
梅雨入りって、あーた。いくらなんでも。まだ5月っすよ。ちと早すぎやしませんか?
いや、ね、四季の移ろいが大切、ってことは重々承知やけど、5月から雨が降り続けてしまうと、なにかと社会生活にも支障をきたしてしまうのではないか、などと心配する訳です。まあ、この時期の週間予報とかはかなり外れたりするので、気象庁には悪いけど、外れることを期待したい今日この頃。5月の末。
さて。突然ですが、鉄っちゃん界隈では結構有名な廃線に、「ドリームランド線」というのがあります。どんなところが有名なのかと言うと、何と開業から1年半で運行休止となってしまった廃線だから。ウィキにも詳しいし、いろんな解説ページも、あります。
大船駅と横浜ドリームランドを結ぶモノレールとして1966年に開業した訳やけど、用地取得段階から色々と問題があり、ルート変更を余儀なくされたところから悲劇が始まったのでした。ルート変更で、その路線に急勾配の箇所が。で、その為に当初の計画に比して橋脚や車体に負荷がかかることとなり、諸々の連絡の行き違いなどがあって、その負荷対策が取られなかったことから、開業半年で車軸が折れるなどの様々な不具合が発生、橋脚にもクラックが入ったりしたことから、運行休止となってしまった、という概略。
その後、再開を模索する動きもかなり活発であったが、結局のところ、その親会社の経営悪化もあって2002年に廃止を正式決定した、という歴史。
なかなか難しいねー。
写真は、土佐くろしお鉄道のごめんなはり線。のいち駅とよしかわ駅の間を走る始発列車を、跨線橋の上から撮影しました。この路線も、かつて、国鉄最後のAB線ということで建設が始まったものの、1980年に日本国有鉄道経営再建促進特別措置法施工で工事が中断。第三セクターの土佐くろしお鉄道に移管して工事が再開されたのが1988年。で、2002年に開業にこぎつけた、ごめんなはり線。奇しくも、ドリームランド線が正式に廃止となった年。
結局、当初計画されてた、なはりから室戸を経由して甲浦までの路線は「未成線」となったのでした。
でね。ごめんなはり線は「阿佐西線」として建設が始まり、1980年に工事が止まった訳やけど、その頃には工事再開の目処、まったく立ってませんでした。その頃、この写真で汽車が走っているあの辺りに、鉄道の高架の一部分みたいなコンクリートの構築物、立ってませんでした?
僕の記憶には、存在します。「もし工事が再開されず、あのまま放置されたら、未来人たちは、あれをいったい何の構築物だと思うだろう。宗教関係のオブジェか何かと思うのだろうか」などと妄想した記憶が、ありますもの。
で、僕の記憶の高架の一部は結局取り壊され、こんな感じの線路になりました。
ごめんなはり線、この北までは高架で、向こうの山を抜けたところからまた高架になるので、この部分だけが高架ではない。当初、ここも高架にする予定で工事が始まったけど、工事を再開するに際して高架をやめた、ということなのか。今みてみると、国道跨線橋があって、高架にするのは難しそう。単なる僕の妄想、勘違いなのか。
そこで地理院地図の過去の航空写真を見てみました。
土電安芸線が廃止になった頃の航空写真には、何も、ない。その後の1980年代の航空写真は単写真しかなかったけど、これの「高解像度表示」をクリックして拡大すると、何かあるようにも、見えます。
ネットで調べてみたけど、あのオブジェが何だったのかわかるページはありませんでした。僕の記憶違いなのか。妄想なのか。関係ない構築物だったのか。それとも、当初は高架にする計画だったのが、諸々の事情で高架ではなくなったのか。真相は、闇の中。
ひとつ言えるのは、この写真の向こう側で建設中の東部自動車道も、もしここの「ごめんなはり線」が高架だったら、それを超える必要があり、なかなかの難工事になっただろう、ということ。どうでもいいですか?
鉄道やモノレールが建設され、運行されるということには、様々な事情があり、思惑があり、苦労があり、紆余曲折がある。今朝の新聞に、とさでん交通の路線バスが12%減便になる、という記事があったけど、人口が急減していく社会の中での公共交通について、みんなで考えていかんといかん時代になりました。