春や昔 十五万石の 城下哉〔7281〕2023/03/23
2023年3月23日(木)小雨ぞな
そんな訳で、松山。昨日、車で国道33号線を走ってやって来ました。街中のホテルに泊まってたので、今朝は5時過ぎから松山城を走ってきました、久々の、松山城。桜も三分咲きといったところでしょうか。今週末、晴れたらお花見客で賑わうんでしょうねー。
松山城の山から見下ろす松山の夜景。昨夜の松山市内、賑わってました。県の異動が発表されたばかりで、どうやら、歓送迎会も多かったようです。去年までは歓送迎会も自粛ムードやったけど、今年はもう、完全に解禁。あちこちから歓声が聞こえてくるような繁華街でした。
今朝は小雨。小雨ですが、早朝からたくさんの善男善女が登ってくる松山城。標高132mの勝山のてっぺんに鎮座まします天守は、嘉永7年(1854年)年に再建されたもの。天明年間に落雷で焼失していた天守が、幕末になって再建。基本、徳川幕府の時代は、天守は不要なものとされ、再建のハードルは非常に高かったのに、幕末に天守が再建できたのは、何故なんでしょうかね。松平氏のお城だったからでしょうかね。知らんけど。
このページ見てもわかるように、松山城の石垣は、すごい。もちろん花崗岩が主体の石垣。築城は1602年からで、かの、加藤嘉明が手掛けました。その当時の石垣もたくさん残っていて、打ち込みハギの乱積みが、美しい。瀬戸内のお城の石垣は、基本、花崗岩。いっぱい採れますきんね。高知城の石垣はチャート主体で、徳島城は緑色片岩、という話は以前も書きました。
高知城の野面積みも美しいけど、松山城の乱積みも、なかなかのもの。恐らくは、強度を重視した積み方であったのでありましょう。江戸時代に改修された部分に布積みの石垣もあります。見た目はきれいやけど、布積みって、横ずれの強度には問題があるので、やはり僕は乱積みが、好き。
嘉永七年というと、前年にはペリーがやってきており、11月に安政南海地震が発生してます。そんな時代によくぞ再建された、天守。高知城を含む現存12天守の中では、ダントツに新しい訳やね。
明治になり、土佐藩によって接収され、保護された松山城。良かったね。残されて。
明治維新の際、多くのお城は取り壊されてます。仙台城が「心無き俗吏」によって破却された話は、以前にも書きましたねー。
桜の季節を迎えた松山城。そこから眺める松山市街。
春や昔 十五万石の 城下哉