200名の人力車夫〔7276〕2023/03/18
2023年3月18日(土)雨のち晴れ
昨日、夕方の飛行機で高知へ。高知は雨が降ってて驚きました。で、東京からのお客様と食事をしたんでありますが、まあ、雨やけど街は結構賑やか。夜の街、雰囲気、変わってきましたねー。善き哉善き哉。
昨日は、上野台地の段丘崖の写真でした。東京は、更新世段丘と沖積平野でできた大都市なので、至る所に段丘崖があって、その地形を楽しめます。高知平野で更新世段丘の崖を楽しめるのは、長岡台地でしょうか。物部川が四国山地から平野に流れ出るところから南西へと伸びる、文字通り「長い岡」、長岡台地。
その更新世段丘の先っぽは、なだらかに平野に飲み込まれていってます。
野中兼山先生によって開鑿された舟入川は、その段丘南麓を流れてきて、段丘の先っぽで段丘を横切り、大津を通って浦戸湾へ。
その、舟入川が段丘を横切るところを選んで、野中兼山先生は、新しい町場をつくったのでした。そこは、稲吉村と呼ばれた村の北方の、未開拓地。そう。舟入川がなければ、地盤が硬くて水捌けの良い更新世段丘なので、水田には適してません。その未開拓地に、長宗我部の遺臣を移住させ、年貢や諸役を免除して開拓させたので、「御免」と呼ばれ、そして、今は後免。
舟入川を利用した物流の拠点でもあり、藩政期を通じて、商人、職人の町として栄えた、御免。後免。明治になっても、文化、交通の中心として栄えた、後免。
角川書店発行「高知県地名大辞典」によりますれば、後免町には人力車の屯所が3ヶ所あり、常時200名の人力車夫が客引きをしていたというから、すごい。で、馬車も、高知行き、赤岡行き、山田行きの3つの発着場があり、「景気良くラッパを吹き満員の客を乗せて走った」と言います。すごいね。で、大正末期に後免~手結の高知鉄道が、そして国鉄高知線が開通し、風景もどんどんと変わっていったのでした。
写真は、後免の商店街が電車通りにでてきたところ。後免東町。電車の停留所が、交差点の東側から西側に移転する工事が行われてます。タクシー会社もある、交差点。
未開拓地に水路が引かれ、街ができ、文化が栄え、商業が発展し、200人の人力車夫。
そして汽車が走り、電車が走り、道路網が整備されて車社会になり、きれいになった交差点の向こうには海洋堂。
これから人口が減っていくのなら、この電車とか汽車とかの公共交通を活用した、新しい街ができていったらいいね。
さあ。雨もあがりました。今から会社周囲の清掃活動をしちょいて、仕事仕事。良い、週末をお過ごしください。