赤レンガ蔵と練兵場と寺田寅彦〔7140〕2022/11/02
2022年11月2日(水)晴れ
昨日から全国的に牛乳の価格が値上がりしています。飼料価格のとんでもない暴騰やエネルギーコスト等の高騰で、日本の酪農業を守るためにも、何卒ご理解をお願い申し上げます。
今日は、店頭価格の調査で、いろんなお店をまわってました。
ここは朝倉。町名で言えば朝倉横町で、その赤レンガの蔵から向こうは若草町。Googleマップで見たらこう。地理院地図では、この十字の場所から西北西を撮影してます。
今昔マップで見ると、こう。つまり、あの赤レンガ蔵の向こう側は、練兵場だったのでした。戦争が終わるまで。
現在の高知大学キャンパスは陸軍歩兵第四十四聯隊。この場所に四十四聯隊がやって来たのは1911年。明治44年。それまでは農地やったでしょうか。
そして、この赤レンガの蔵。立派やねー。ネットで調べると「伊野部家レンガ蔵」で出てきましたねー。竣工が1912年。大正元年。おう。四十四聯隊がやって来た翌年ではないか。関係あるのだろうか。こうなると得意の妄想が広がるよね。それまで立っていた蔵が練兵場建設によって立ち退きになったので、その横に、新しい蔵を建てた、とか。まあ、妄想です。
伊野部家と言えば、朝倉界隈の大地主で有名。高知市近郊には、戦後の農地改革まで大地主だった有名な一族があちこちにいらっしゃいますが、朝倉の伊野部家はその中でも筆頭株でしょうな。知らんけど。
で、我らが寺田寅彦先生の次姉、幸さんの嫁ぎ先が、その伊野部家。おそらくは、本家筋。子々孫々、なかなかの人物を輩出してますね。さすが、「朝倉の伊野部」。
そんな訳で、寺田寅彦の随筆にも、この界隈の風景描写がでてきます。「花物語」という随筆集に収録されている「楝の花」という作品。明治41年10月、ホトトギスに掲載された作品なので、このレンガ蔵は、まだ建ってない頃に書かれたもの。
「一夏、脳が悪くて田舎の親類にやっかいになって一月ぐらい遊んでいた。家の前は清い小みぞが音を立てて流れている。狭い村道の向こう側は一面の青田で向こうには徳川以前の小さい城跡の丘が見える。古風な屋根門のすぐわきに大きな楝の木が茂った枝を広げて、日盛りの道に涼しい陰をこしらえていた。」
こんな書き出し。さすがの文章。表現力。
もしその当時にこの赤レンガ蔵が建っていたら、寅彦の手によって、美しく表現されていただろうか。文才の無い僕には、わかりません。
今は住宅地になってきたけど、この一角、まだ、この随筆に表現された風景が、かろうじて残るねー。向こうに見える山は、その、「徳川以前の小さい城跡の丘」である朝倉城址。楝の木はないけど、秋のコスモスが赤いレンガに映えて、いい感じ。ああ。自分の表現力の無さに愕然とするよね。「いい感じ」ときたもんだ。